あなたに捧ぐ潮風のうた
長い葛藤の末、あまりに急いで余裕の無いところを見せた末に彼女に嫌われてしまったら元も子もないと思い、通盛は断腸の思いで彼女から身体を離そうとした。
しかし、小宰相は通盛の服を掴んで離さず、離れた分だけ身を寄せてきた。
「……もう帰ってしまわれるのですか」
通盛様、と切ない声で自分の名前を紡ぎ、自分を見上げる愛しい女性を目の前にして、通盛は自分の理性が人生で最も試されているのが分かった。
「いや、しかし……」
「まだ、話し足りませぬ」
(ああ、何といじらしいことか)
彼女はいとも容易く通盛の理性や思考を打ち砕いた。自分は愛しい女性が帰ってほしくないと言っているのに何故依然として帰ろうとしているのか。不要な理性を放棄した通盛は、浮かした腰を再び下ろした。
「貴女が私にここにいてほしいなら、喜んでここにいる」
「……通盛様、ありがとう」
顔を上げて微笑んだ小宰相は、少し力が抜けた顔をしていて、子供っぽさが垣間見えた。
最早、通盛にとっては誰にも見せたくない、気付かれたくないほどに愛らしい存在で、見事に煽られてしまった通盛は思わず彼女を再び抱き寄せた。
このまま小宰相を自分の腕に抱いて自分だけのものにしてしまいたいという強い欲求があったが、通盛は今はまだ彼女に手を出さないと心に決めていた。
通盛の身の回りの状況が落ち着けば直ぐにでも彼女の父に許可を取り、福原なり彼女を呼び寄せたいが、彼女の思いを確かめてお互いの気持ちの結びつきを確かにしてからでも決して遅くはないはずだ。
彼女はどこか寂しがっているように見えた。父親の容態のためだろうか。結局、通盛はその日は帰らず、ただ二人で穏やかに話をして一夜を過ごした。