あなたに捧ぐ潮風のうた
別れを惜しむほどに、時間は風のように過ぎ去っていく。
六月二日、安徳天皇、高倉院、後白河院を始めとして、大臣、公卿、その他朝廷に仕える人は皆全て平安京から離れて摂津国の福原に移った。
ここ福原は平家の重要な拠点の一つであり、平家の別邸が数多く設けられている。
清盛は、新都を建設しようというが、実際にはまだ着工にすら至っておらず、天皇の住まう内裏も当然完成していない。福原は、北は山、南は海と土地が狭く、新都の建設は難航を極めた。
あまりに急な遷都であったため、人々が住むための家も殆ど完成していないのが実情だ。
まだ家がないものたちは道端で眠るしかないといった有様で、「ここまで急いで遷都をする必要があったのだろうか」「旧都では平家に反感を持つ人々が多かったからだろうか」と人々は口々に囁き合った。
一時的に、安徳天皇は清盛の屋敷、高倉院は頼盛(清盛の異母弟)の屋敷、後白河院は教盛の屋敷にそれぞれ入ることになった。
「ここは潮風も波の音もうるさいのう」
日は既に沈んでいた。屋敷の中庭を眺めながら後白河院が呟く。
後白河院の話相手は主に父教盛が務めており、父は「夜には確かに少し音が大きく聞こえますね」と返事をして頷いた。
福原の港には、清盛が日宋貿易のために築いた人工の島「経の島」がある。風や波を軽減するために作られたものであり、少しは風も軽減されているはずだが、やはり海からの潮風は強く吹き抜けて、時折屋敷を揺らした。
この潮風が自分の思いを乗せて彼女に届いてくれたらいいのに、そんなことを思わざるを得ない。
当初、後白河院を教盛邸で預かると聞いた時には通盛は少し驚いた。父はその昔、後白河院の院近臣を務めていたため、平家の中でも比較的後白河院とも親しく距離が近い方である。
「幽閉から解かれたと思えば、今度は福原に連れて行かれると思わなかった。あの清盛めが……。まったく、静かな場所で心ゆくまま仏道修行でもしたいものよ……」
気安い教盛が相手だからか、後白河院はため息をついて愚痴を吐き始めた。父は「ご心労おかけしております」と背中を丸めて謝った。
「この屋敷はご自由にお使いください」
「……他に行くところもないしのう」
後白河院は仕方がないと言った様子で頷いた。