あなたに捧ぐ潮風のうた
とある夜更け、仮眠を取っていた通盛は、伝令役の部下に起こされて報告を受けた。
それは維盛方の主力軍が夜襲を受け、既に七万の軍が壊滅状態に陥ったという、まさに寝耳に水、全く予想もしなかった衝撃的な内容だった。
命からがら逃れてきた平家の敗残兵による知らせで、その者は深手を負っていたため、伝令後に事切れたという。
通盛は心臓が騒ぎ始めるのが分かった。
「……まさか。なんということだ……」
夢であればどれ程良いことかと思わずにはいられない。
「何故、ただの夜襲で壊滅に陥るのか。反撃は出来なかったのか」
伝令に問うと、伝令は青ざめた悲壮な顔をして答えた。
「それが……夜間のうちに取り囲まれていたようで、ずっと敵襲の動きがないからと皆油断をして寝入っていたところを襲われたそうです。加えて、角に松明が結ばれた数百もの牛が突然陣に突入してきたと。逃げ場所はもはや背後の倶利伽羅峠の谷底か、峠を迂回して逃げる道しかなく、ほとんどの兵は間に合わずに谷に飛び降りて死んでいったと……運良く生き残った者もいたようですが……」
あまりに恐ろしい話に通盛は唇を噛む。
「維盛殿はご無事なのか」
「平家軍に守られていたからきっと谷を迂回してお逃げになったはずだと申しておりました」
「……そうか」
通盛は一息つき、刀を手に立ち上がった。
油断は人を殺す。主力がそういう状態に陥ったならば、通盛軍も主力軍の撤退を援護しつつ退却するしかあるまい。
通盛軍は直ぐに撤退の準備を整え、全軍に志雄山を下りる命令を出した。
平家軍はその後も北陸の戦いで相次いで義仲軍に敗れた。維盛軍は僅か二千となって加賀国に逃れ、そこで再び義仲軍と相対したが、完全に敗北を喫し、都まで逃れたという。
義仲は戦い方をよく理解しているようだ。
通盛はその報せを聞き、自分達の軍も都まで逃れることを決意した。
このような山奥の山岳を舞台にして戦うのではなく、自分達に有利な平野がある戦場──西の都の方が戦えるという期待もあった。
通盛が帰京したのは五月の末のことである。