あなたに捧ぐ潮風のうた
明朝、平家は船の準備を整えた後、六波羅の邸宅同様に福原の邸宅に火をつけた。
朝日に照らされる海面も炎が燃え上がる福原の陸も、どちらも眩しかった。
平家は自分たちの淡い夢の跡を燃やし尽くし、数百にも及ぶ船を海面に浮かべて西海への旅に出た。
目指すは九州である。
八幡宮の総本山である宇佐八幡宮や西の要所である大宰府に向かい、都や安徳天皇が過ごすための御所を定めることになっている。特に宇佐八幡宮の大宮司は清盛の娘を妻としており、平家を匿うだろうという期待もある。平家が再起を図るためには良い場所だという結論に至ったからだ。
しかし、全国各地、すでに後白河院や源氏の手が回っていることを思い知らされるばかりで、平家の期待は早々に裏切られた。
長い船旅を終えて筑紫国に入り、大宰府に渡って直ぐのこと、在地の役人が平家一行の元にやってきて「入京した木曽義仲に平家追討の院宣が下っております」と告げた。
その者の話によれば、すでに亡き高倉院の四の宮が新帝「後鳥羽天皇」として即位したという。
「神器は我々が保持している。たとえ法皇様の院宣とて神器なき即位など有り得ぬ。主上はただお一人じゃ」
激しく憤慨したのは、安徳天皇の母である建礼門院だった。平家の者たちも同意して頷く。
「……九州在地の者も褒美を与えられるといって我先にと平家の皆さまを打ち取ろうとしているようでございます」
その役人は平家に親しい気持ちを抱いているようで、「お逃げください」と声を震わせ、平伏して言った。
ついに、と平家の者たちは思った。
――今まで朝廷のために朝敵を討ち払ってきた平家が、まさか朝敵となり追われる日が来ようとは。
平家を纏める宗盛は唇を噛み締めたが、悩む時間も惜しいとばかりに大宰府を放棄すると宣言した。
その後も、どこへ行っても平家を打ち取ろうとする者の噂が絶えず、平家は山中の神社を隠れ渡るようにして過ごした。
幼い安徳天皇や建礼門院、その他の公卿たちが疲弊している様子は痛ましく、神社に身を寄せる度に祈り、安寧の場所を求めて平家は彷徨った。
すでに安徳天皇以外には輿など無く、また公卿や高貴な女房たちの区別もなく、徒歩で歩く。普段から歩きなれていない者たちは足を痛め、人によっては足の裏から血を流す者も存在した。
それでも、平家一行は歩いて海を目指した。
たとえ敵であろうとも、海上まで平家を追うことは難しいだろうという考えからだ。
海上だけが平家の唯一安らげる場所だった。