あなたに捧ぐ潮風のうた


 夜、簡素な小屋の中で小宰相は通盛と語らっていた。

 海上や九州にいたときは落ち着ける場所など無かった。常に危険に晒されている予感があり、気が張り詰めていた。通盛も常に武将の一人として一行の先頭に立たねばならず、小宰相は夫と一緒に過ごすことが出来ずに少なからず心細い思いをしていた。

 屋島に来てからは、以前と比べて平穏な夫婦の時間も得られるようになっていたが、その時間も長くは続かないことは二人とも分かっていた。

「……近いうちに何千人かの兵を連れて屋島を発つ予定だ」

「…………」

 ――戦に行ってほしくない。そう思っても言葉に出来ない。

 小宰相は思わず心が震えて、通盛の胸に顔を伏せた。

 これで何度目だろうか。通盛が戦場に向かう度に、胸に広がる不安や恐怖を覚え、それをひたすら堪えているのは。

 どんなに覚悟していても、それは辛いことで、戦場に見送る夫の背中が決して最期ではないという確証が欲しかった。

「大丈夫、心配はないよ。重要な一戦だから重衡や他の武将もいる。何といっても弟がいるから百人力だ」

 安心させようとしたのか、通盛はおどけたように笑って小宰相の背中を撫でる。

 小宰相は思わずつられてくすりと笑った。

「……どちらがお兄様なのかしら」

「全く情けない兄だが、教経が一緒なら心強いのは本当だよ。それに兄として良いところを見せたくなる」

 通盛の穏やかな顔は、弟との絆の深さと信頼を窺わせる。

「孝子、こんなわたしの手を取ってくれたこと、貴女に後悔させたくない。二人で平穏に暮らせる世の中になるように戦ってくるから、どうか待っていてほしい」

 真摯な言葉に小宰相は顔を上げ、「信じています」と頷いた。

 視線が絡み合うと自然と二人は口づけをして、お互いの存在を求め合った。 

 小宰相は素肌に指が滑っていく感覚に未だ慣れることが出来ず、思わずいつものように高い声が出そうになって、慌てて唇を噛んだ。このように他の平家一門にも声が届くような場所で、と初めて通盛を恨めしく思う気持ちになったが、通盛の思いの強さと熱を感じると思考も溶かされて何も言えなくなる。

 これが最後になるかもしれないと思うと、余計に愛おしく、同時に恐ろしい気持ちにも苛まれて、夫の背中に腕を回して目を瞑った。
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