あなたに捧ぐ潮風のうた
振り返ったそこには、山の崖から転がり落ちるようにして駆け下りてくる大勢の騎馬がいた。
(まさか……有り得ない……!)
通盛は思わず言葉を失い、その光景を見つめた。
確かに、この切り立った崖を降りて挟撃を試みる者がいてもおかしくはないと思っていた。
しかし、ここは鹿すら落ちるほどの傾斜、作戦を立てこそすれ実行に移す者がいるとは誰も思いもしなかった。
現に、騎馬兵は落馬する者が多く、十に六ほどは馬から落ち、地面に叩きつけられたり馬に踏まれて動かなくなった。足を折った馬も数えきれない。
しかし、それでも中には無事に駆け下りた騎馬兵もおり、体勢を立て直そうとしている。
(一体誰がこのようなことを……)
敵の一人が馬上からこちらを見た。崖から騎馬で降りて無事であるとはおよそ只者ではない。今まで戦っていた源氏の兵とは気勢から能力まで違う。
通盛ははっと我に返って「背後から敵あり!」と叫ぶ。平家の兵達も中には気付いた者がいたが、背後には存在しないはずの敵影を見て、驚きのあまり固まる者も多かった。
「平家の賊軍を打ち倒せ」
敵軍の一人から底冷えする恐ろしい声が聞こえてくると、平家軍は一気に総崩れとなった。
前線からは教経がいち早く全軍に撤退を指示する声が聞こえてくる。通盛も「撤退せよ!」と陣後方に指示を飛ばす。
「通盛様、早くお逃げください……!」
菊王丸が通盛を庇うように立って言った。
「お前も来い、菊王丸!」
通盛は平家軍が背後の騎馬兵から逃れるようにして敵陣に向かっていくのを見て、自分も菊王丸を連れてそちらに向かった。
あまりにも平家に分が悪いのは誰の目から見ても明らかで、こうなってしまっては最早どうすることもできない。勝算などあるはずもなかった。
一度海上に逃げなければ、と誰もが思い、平家軍は敵陣を一点突破して駆け抜けた。守りではなく逃げる為に攻撃に転じた瞬間だった。
敵に背中を向けて敗走する屈辱を覚えながらも、背後から迫る敵の矢を避け、刀を避け、誰もが脇見を振らず逃げる。それは通盛も同じだった。