あなたに捧ぐ潮風のうた
小宰相はその日から起き上がることが出来なかった。具合が優れず絶えず吐き気を催しており、夜が明けても伏せったままだ。
小宰相は、自分を支えていた何かが本当に折れてしまったような心地がした。
誰も彼もが「通盛は死んだ」と呪詛のように言う。通盛の生存を信じているのは最早小宰相だけのようだった。途中まで共に戦っていたという弟の教経ですら兄の生存を絶望視している。
すでに平家が敗北を喫してから四日が経とうとしており、死んだ者の名前が挙がってきている。その中にははっきりと通盛の名前もあった。
そもそも、通盛が敵に遭遇して生きていると思える方がおかしいのかもしれなかった。
「姫様……」
呉葉が蒼白な顔で小宰相を覗き込む。
母とも慕う乳母は絶えず小宰相を心配して、看病をしてくれた。彼女の息子の義則も、時折小宰相の様子を窺いに来ているらしい。
しかし、今はそれすら億劫で疎ましく思えた。
誰もが小宰相が夫を亡くしたと思って同情を寄せる。彼らの全ての行動、言動が「通盛は死んだ」と語り掛けてくる。誰かの優しさを感じるほどに、悲しみと遣る瀬無さを強く感じたのは初めてだった。
「……通盛様」
小宰相は菊王丸から聞いた夫の最期の言葉を思い出し、虚空に手を伸ばす。
本当に、彼は永遠に小宰相の手の届かない場所に行ってしまったのだろうか。
「今すぐにでも海の底に沈んで貴方様がいらっしゃる所へ行きたい……」
小宰相は目から涙が次々に溢れてくるのを止められず、嗚咽した。
「お気をしっかりとお持ちください、姫様」
呉葉が小宰相の手をそっと握り、言い聞かせる。
「決して命をお捨てになってはいけません。どのような結末になっても生きながらえて、旦那様のお言葉通りに御腹におられる御子を育てなくてはなりません。妻として女として、出家をして旦那様や他の平家の方々の後世を弔いなさるべきです」
必死に呉葉から諭され、小宰相は小さく頷くしかなかった。