あなたに捧ぐ潮風のうた
「呉葉おばあさま。父さま連れてきた」
京の街の一角の小さな屋敷に、とある子供が義則の手を引っ張って部屋に来た。まだ六歳ほどのあどけない表情をした男子だ。
成長するほどに母親と父親に似ていきている、と義則は思った。義則は、大切に思っていた女人の面影を感じるたびに胸が痛んでいるのを誰にも知られないように隠してきていた。
「通衡」
呉葉は穏やかに笑って子供を膝の上に抱いた。
「貴方がもう少し大きくなって世の中のことが色々と分かるようになった頃、その時は全てのことを話しましょう。貴方のお母様とお父様のお話を……」
義則は母の言葉にそっと目を閉じた。
忘れもしないあの日、あの夜。
小宰相は海に身を投げたが、生きていた。誰しもがこれまでかと思っている最中、息を吹き返した。身籠っていた子供も無事であった。
彼女はその後、身投げを思い留まり、壇ノ浦まで一門と命運を共にした。
その後は、京に連れ帰られて出家した。彼女は密かに身籠っていた子供を産んだが、産後の経過が悪く、命を落としてしまった。
小宰相が通盛の子を身籠っていたのはほとんど平家以外には知られておらず、通衡は義則の子供として扱われている。平家一門の一つの嫡流が生きていると知られた場合、通衡の命は無いからだ。
それでも、小宰相は自分の子供に一瞬でも会うことが出来て幸せな顔をしていた。我が子を抱きしめ、亡き夫の事を思っていただろう。
今頃は愛しい夫に再び巡り合っている頃だろうか、と義則はかつての思い人に想いを馳せた。