あなたに捧ぐ潮風のうた


「通盛様」

 背後から声を掛けられた。

 振り返ると、そこには通盛の侍童である菊王丸が佇んでいた。

 菊王丸はまだ十歳であるため元服しておらず、通盛の元で小間使いとして働いている。高い位置で一纏めに縛った長髪が彼をより幼く見せていた。

「どうした」

「上西門院様がご到着です」

 法勝寺の入り口を見ると、確かに上西門院が数名の女房と共にいた。

 挨拶をせねば──と爪先をそちらに向けたとき、通盛は菊王丸の表情が緊張に彩られていることに気付いた。

「菊王、疲れたか」

 彼は逡巡した後、長い髪を揺らしながら首を横に振る。

 実際は、高貴な人が大勢集う場所では気疲れするのだろう。花見をするどころではないはずだ。

「お前も平家の一門、臆することはない。落ち着いて、堂々としていればよい」

「はい」

 菊王丸の表情が心持ち明るくなった。

 侍童と言っても菊王丸は将来有望で、通盛には何かと気にかけていた。
 例えると、菊王丸は末の弟のような存在かもしれない。

「では、菊王丸。上西門院様にご挨拶を申し上げに参るぞ」

「はい」

 菊王丸は大きな目を不安そうに揺らした。

 通盛でも緊張するのだから仕方が無い。

 その様子がいつにも増して子供っぽいので、通盛は微笑んで彼の頭に手を置いた。


< 46 / 265 >

この作品をシェア

pagetop