あなたに捧ぐ潮風のうた


「……上西門院様にお仕えしてどうだ。下の者たちにも優しい、素晴らしい方だろう」

 絞り出した言葉は当たり障りもなければごく当たり前の言葉でもあったが、彼女は眩しく微笑んで頷いた。

「はい。上西門院様にお仕え出来ることが至上の喜びでございます」

 両手で杯を持っている彼女は、その笑みを隠さずに惜しみなく通盛に向けた。

 何故かもどかしさを覚え、心の奥底で小さな火花が散る。

「──小宰相殿」

 通盛は彼女に手を伸ばした。

 小宰相は何も疑うことなく不思議そうに通盛を見つめている。

 その無垢な目に見つめられると、自分が悪い人間になった心地がして落ち着かなかった。

 染み一つない滑らかな頬に触れたい衝動を抑え込み、漆黒の髪に触れた。

「通盛様?」

「──貴女の髪に花弁が」

「まあ。ありがとうございます」

 通盛はしばし手に取った桜の花びらを見つめていたが、それを胸に抱いた。

 心の臓は落ち着きを取り戻していたが、いつもより僅かに速い。全身に微かな緊張が駆け巡る。

 いつも心の変化が緩い通盛には、その緊張は意外にも新鮮で不思議と心地良かった。

 咲いたばかりの花のように嫋やかな一人の女は、いとも簡単に通盛の心を奪っていった。
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