レテラ・ロ・ルシュアールの書簡
* * *
女神の瞳のような、美しい満月の夜だった。
丘の上で、陽空と馬車を降りるともう儀式は始まっていた。
天空には、月よりも明るく輝く小さな白い太陽が昇り。地の草原は、金を散りばめたように黄金色に輝く。
晃はその中心に立っていた。
出逢ったときと同じ、浅葱色の着物が風にたなびく。
煌々と輝く呪陣の中心にいる晃は、どことなく幼く見えた。それは、彼女の不安を表しているように僕には思えた。死ぬのが怖くない者などいない。たとえそれが大切な家族や、世界のためだったとしても。
「晃……」
呟いた途端、胸の中で暗い感情が騒ぎ、腹を掻き乱して暴れた。食道を上がってきた胃液を寸でのところで飲み込んだ。気分が悪い。
「大丈夫?」
アイシャさんが僕の背に手を当てた。
「大丈夫です」
僕は素っ気無くその手を払った。誰にも話しかけて欲しくない。どうして、僕はここにいる? なんで、晃が死ぬのを分かってて、見届けなくちゃいけない? 考えまいとしてるに、ぐるぐると思考だけが回る。僕は晃だけを見続けた。
紅説王が呪文を唱え始めたのか、光りがいっそう濃くなる。晃は手を胸の前で組んで瞳を閉じていた。光が徐々にその輝きを強くすると、晃は崩れるように膝を突いた。
僕は一瞬息を呑んで、次の瞬間何かが弾けた。
「晃!」
気づいたら駆け出していた。
背後で誰かが何かを叫んだけど、僕は構わず丘を駆け下る。
「晃、晃!」
足がもつれそうになって、バランスを崩した。でも、僕は視線を晃から離さなかった。夢中で足を動かし続けた。
森の木々に晃が隠れそうになった瞬間、煌々と輝く光が天高く昇った。光は、完全に晃を覆い隠してしまった。
「晃!」
僕はあらん限りに叫んだ。
「やめてくれぇえ!」
天に昇った光は一瞬で掻き消え、代わりに現れたこぶし大程の小さな光りが、天空で輝く第三の魔王に吸収されるように昇って行った。
まぎれもなく、晃の魂だった。
力が抜けて、僕はその場に座り込んだ。儀式は終わってしまった。
晃は、死んでしまった。
絶望が脳を覆った瞬間、魔王が更に光を強めた。僕はあまりの眩しさに目を細める。天高く光の柱が走り、それは上空に放たれる槍のように勢い良く消え去った。
辺りは静けさと、宵闇を取り戻し、魔王は消えうせた。
数分間、僕は呆然として何も考えられなかった。だから、誰が叫んだのか分からない。でも誰かが、「あれは!?」と、叫んだ。
僕はどこをともなく見ていた瞳を天へ向けた。すると、満月の中に黒い点が浮かんでいる。明らかにクレーターとは違う。それは徐々に大きくなり、やがて人なのだと判った。
「晃?」
呟いた声音は、自分で思ったよりもずっと掠れていて汚い。喉を潰したんだと分かったけど、そんなことはどうでもいい。
落下してくる人影に晃を重ね合わせる。でも僕の期待は、数十秒後には儚く散った。その人物はそのスピードを緩め、上空十ヤードでふわふわと浮いた。
空中に漂う彼女は、十代後半の少女のかたちをしていた。異国の服を纏い、長く真っ直ぐな黒髪を月明かりが照らし出すそのさまは、神秘的であるとしか表現しようがない。僕は、一瞬彼女に魅入って、次の瞬間痛烈な憎しみに襲われた。
(こいつのせいで、晃が死んだ)
気絶しながら宙に浮く少女を、紅説王が結界で器用に階段を作って迎えに行った。少女を抱きかかえて降りてくる。
(いや、違う。……こいつらのせいで)
僕は王の許へ駆け寄ってきたマルと、月に照らされた紅説王と少女を睨み付けた。まるで絵画の中にいるように、優雅で美しいこの二人と、それにかしづく魔法使いは、僕からこの世で一番大切な者を奪った悪魔だ。