レテラ・ロ・ルシュアールの書簡
そういえば、魔竜の洞窟で燗海さんはヒナタ嬢に忠告してたっけ。
人をちゃんと見なければ、いつまで経っても乾いたままだって――。
「毎日が乾いておった。それで、旅に出ようと決めたんじゃ。娘がちょうど、六歳の時じゃったわ。嫁や娘が止めるのも聞かず、ワシは家を飛び出した。駆け出したワシを止める手立てなど、あの二人にはなかったじゃろうな」
確かに。馬よりも速く駆けられる人間に追いつく術なんてないだろう。それよりも速いドラゴンにでも乗らない限りは無理だ。
僕は少し、奥さんと子供が不憫になった。愛し合って、とはいかないまでも、奥さんの方は燗海さんを好きだったわけだし。子供にとってはどんな親でも、親は親だ。なくして少しも哀しくないわけはない。
「ワシは何年もかけて世界中を回った。そして、あるとき不自由さに気がついたんじゃ」
「不自由さ……旅のですか?」
「いいや。傍らに、嫁がいないことがじゃ。そう想い出したら、嫁は今なにをやっているじゃろう。娘はどうしているじゃろうかと気になりだした。言い方は、良いのか悪いのか分からんが、ずっと痛くて麻痺していた腰痛が治ったことによって、少しの痛みにも耐えられなくなる――そんな感じじゃった」
僕は思わず首を捻った。どういう意味だろう?
燗海さんは僕の表情に気がついたのか、「そうさなぁ……」と呟きながら顎を擦った。
「ひどい肩こりも何日も続けば麻痺してしまうじゃろう? 慣れてある程度は普通に過ごせるようになる。ワシにとって、村におったときがそうじゃった。でもな、ワシは知らないうちに、治療を受けておったんじゃよ。嫁と子供に癒やしてもらっておったんじゃな。でも、ワシはそれに気づかなかった。それを不快じゃと思ってしまっておったんじゃな。恐れ故にな」
燗海さんは哀しそうに微笑(わら)った。
「そしてな。少しの寂しさにも、ひどく心が痛むようになったんじゃ。それを、旅をしていて、ふと寂しいと思ったときに気づいたんじゃ。思い悩んだあげく、ワシは帰る決心をした。罵倒されても、家に入れてもらえなくても構わない。精一杯謝って、また家族にして欲しいと告げようと決めたんじゃ」
「しかしな……」と、燗海さんは眉根を寄せ、深く息を吐きだした。まるで、泣き出したい気持ちを整理したみたいだった。
「家に帰ってみると、誰の姿も無かった。引っ越してしまったのかと思ってな。近所を回ったが、近所の者も皆、姿が変わっておった」
「え?」
「その者達は、居なくなった住人の代わりに越してきた者達じゃった。家を含めた一帯は、何者かの襲撃に遭い、全ての者が殺された」
僕は絶句したまま燗海さんを凝視した。けど、燗海さんはどこか遠くを見る目で前を見据えている。瞳は暗く、薄っすらと涙を含んだように揺れた。
「ワシは案内された墓地へ向ったよ。そこには嫁の名と、娘の名前が刻んであった。最初は信じられんかった。強かった嫁がどこの馬の骨とも分からんものにやられるはずがない。この名はきっと、別人のものに違いないとな。じゃが――」
燗海さんは目頭を押さえて、かぶりを振った。