レテラ・ロ・ルシュアールの書簡
「ワシが目黒を名乗らないのはな、レテラ。目黒の姓が、嫁のものだからだ。ワシは、家族をほったらかしにし、死なせ、復讐の名目で人を殺した。その前にも、国を守るという名目で、散々人を殺してきた。しかも命を奪いながら、つまらないだなんて思っておった。そのワシが、平和を望んでおった誇り高い嫁の名を名乗れるわけがあるまい」
燗海さんはひとつ息を零した後、にこりと笑んだ。
「嫁が愛してくれた目黒燗海は、ワシが家を出た時点でもう死んでおる。ここにおる燗海は、ただの罪人じゃ」
僕は、燗海さんの覚悟を込めたような笑みに見入った。燗海さんは不意に視線を逸らし、障子の向こうに投げた。そのとき気づいた。
僕は、紅説王もマルもここに眠る少女も憎いと思った。本当に、はらわたが煮えくり返るくらいに、苛立たしくて、許せなくて。
だけど、僕は彼らを心底憎んでいたわけじゃない。
だって僕は、王がどれだけ苦心して魔竜を倒そうとしているのか知っているし、あの王が晃が犠牲になったことも、そのことで僕が落ち込むことも気に止めないはずがない。きっと、こうしてる今も心の奥底で悲しみ、身を引き裂かれる想いでいる。そして王はそれを誰にも告げないだろう。
罪と、覚悟を背負っているから。
マルもそうだ。彼女は研究狂いだけど、感情がないわけじゃない。僕が晃と友達だと知ったときのマルは、驚いて、蒼白だった。きっとマルも、今頃罪悪感を抱えてる。
ましてや、この少女はただ呼ばれて来ただけだし、晃が命がけで探して来てくれた人だ。結局僕は、どんなに憎らしく思っても王もマルも好きでいる。
だからこそ苦しかった。
「それに、僕は……」
誰にも聞こえないほど低声で呟いた。
僕はきっと他の誰のことよりも、自分を許せなかったんだ。
マルが晃に話しただろう日に、僕は晃にもマルにも深く聞かなかった。無理をしてでも聞いておけば、まだ打開策はあったはずだ。
あの日に戻りたい――。ふとそんな後悔が胸を過ぎる。でも、戻れるはずもない。
視界を閉じかけたとき、不意に頭の中で優しく、明瞭な声が響いた。
『あなたが記録係になったのは、きっと誰かに何かを伝えるためよ』
いつかの、アイシャさんの言葉だ。
何かを掴んだ気がした、あのときの感覚が蘇ってくる。
「燗海さん」
名を呼ぶと、燗海さんは振り返った。
「なんじゃ?」
「僕、ここに残ります。残りたいです。それで、ここで起こったこと全てを書き記します」
晃を救えなかった罪人として、僕も生きよう。
僕に出来る贖罪は、晃が生きた証を書き記していくこと。
晃が残したこの計画の行方を見守り、全てを記していくことだ。この計画が終わるまで、僕は筆を置かない。
晃の、この計画に関わっている全ての人の苦悩と、軌跡を綴ろう。
そして、それを後世へ。
誰かの頭に残ったのなら、その人と共に、晃は、皆は生きていける。
手記が後々の世まで語り続けば、それは永遠になる。
燗海さんは優しく笑んだ。
「そうかい」
呟くように言って、頬を綻ばせた。
「理由を訊いても?」
僕は、口角を上げた。
「燗海さんと同じです」