レテラ・ロ・ルシュアールの書簡
* * *
それから一ヶ月が経っても、相変わらず魔竜を倒す計画は中断したままだった。会議は毎日のように開いているけれど、対策が見つからないまま時が過ぎていた。
でも、他の事では変化があった。
最近、ヒナタ嬢と陽空が条国の言葉を話せるようになったんだ。
ヒナタ嬢は片言だけど、何故か話せるようになっていた。
どうしてなのか聞いたら、知らないと返事が返ってきた。
僕は陽空とバーで話しをしてから、また以前のように好奇心に任せてあれこれと聞いたり調べたりするようになっていた。もちろん、行き過ぎないように心がけてはいる。
だけどヒナタ嬢だけはやっぱり別で、他の人ほど突っ込んで聞けないでいた。
彼女は元々あれこれと詮索されるのが好きではないようだし。
だから何故話せるようになったのかは分からないけれど、アイシャさんから聞いた話では、本人が言うように特に何をしたというわけではなく、自然に覚えたようだった。
戦いの天才は、言語の天才でもあったわけだ。
本能で行動しているから、言葉も覚えやすいのかも知れない。言い換えれば、素直ってことなんだけど。
陽空は恋人に教えてもらったり、居酒屋で女性に教えてもらったりして覚えた。
僕と行った居酒屋にも通っていたけど、女性がついて晩酌をしてくれるような店にも行っていた。
どうやらアイシャさんも巻き込んでいたらしい。城内で質問していたのを見た事がある。そのときは僕もまざって教えたけど、会話を聞くに、アイシャさんはずっと前から教えているようだった。アイシャさんは優しい人なだなぁと感服してしまう。
ちなみに、陽空は恋人とは既に別れていた。浮気性が理由で振られたらしいが、本人は意にも介していない。昨日もナンパにくり出していったようだし。
あいつらしくて、呆れるよりも感心してしまったくらいだ。
僕は、文机に座ってこれらを書き記したメモを清書していた。
文机に向う場合は、正座と呼ばれる座り方で書くのが一番書きやすい。けれど、すぐに足が痺れて痛くなってしまう。祖国では文机と呼ばれるものもなかったし、椅子に座っていたので、わりと不便だったりもする。
大体、三週間分の出来事を清書し終わったとき、縁側から誰かが声をかけてきた。
「レテラ・ロ・ルシュアールはいるか」
「はい」
(誰だろう?)
僕は返事をして立ち上がり、障子を開けた。
すると、そこにいたのは珍しい人だった。青説殿下だ。紅説王とは、研究室で御会いするけれど、殿下とは会議の場でしか会った事が無い。
殿下は、眉間に深くしわを寄せたまま言った。
「大広間にきなさい」
「……はい」
僕は怪訝まじりに返事を返した。
大広間に行くと、馴染みのある後姿があった。
白銀の鎧、条国や驟雪、水柳に住む人に比べて白いうなじ、この特徴はルクゥ国の人間である事を物語っている。
軽くうねった金色の髪が、開け放たれた障子から入ってきた風に揺れる。金というよりは、白に近い色か。
屈強な体躯を持った彼は静かに振り返った。
「……ミシアン将軍」
僕は、仰天した。
思わず息が止まってしまったほどだ。
ミシアン将軍は、僕と目が合うとにこりと笑んだ。
彼は、ルクゥ国ではヒナタ嬢の次に有名な人だった。
若くして将軍となり、数々の戦果を上げている勇猛果敢な将軍で、その評判とは裏腹に甘いルックスを持っている。性格も穏やかだともっぱらの評判だった。
式典や凱旋パレードなどで遠くから見た事はあったけど、実際に御会いしたのは初めてだ。ちなみにヒナタ嬢は式典やパレードに参加した事は一度も無い。ルクゥを出る時が初めてなんじゃないかな。
僕はすっかり舞い上がってしまった。
「うわあ……感激です!」
わき目も振らずに駆けていって、ミシアン将軍に握手を求めた。将軍は嫌な顔一つせずに、僕の手を握り繰り返してくれる。
将軍の手は優しそうな外見とは正反対に、大きくてごつごつしていた。
「キミがレテラかな」
「はい!」
「今度の魔竜討伐からついていける事になったから、きちんと仕事をするようにね」
「え?」
きょとんとしてしまった。
あまりのことに、思考が追いつかなかった。
「元々、こちらとしてはキミに戦況の報告もしてもらおうと考えていたんだ。ほら、ヒナタはああいう性格だろう」
将軍はふふっとおかしそうに笑う。
確かに、ヒナタ嬢が報告書を送るなんてことするはずがないもんな。
「でも、こちらにはうまく伝わってなかったみたいなんだ。まあ、それはキミも同じだったみたいだけど……。それを、キミの書状で知ってね」
「それでわざわざおいでになって下さったんですか?」
「書状で済まそうという意見もあったんだが、せっかく転移のコインもあることだしね」
僕は上段の間に座っている紅説王を見た。
紅説王は笑顔だったけど、なんとなく硬いような気がした。
「もちろん、転移のコインの使用許可は条国から取ってあるよ」
言って、ミシアン将軍は青説殿下を一瞥した。
僕もつられて殿下を見ると、殿下は相変わらず神経質そうに立っている。大広間には入らずに、廊下で待機するようにしていた。
その表情は王と同じように硬い気がした。王からはそうでもなかったが、殿下からはなんとなく、ぴりっとした緊張のようなものが感じられる。緊張、というよりは警戒といった方が正しいかも知れない。
「では、私はこれで」
ミシアン将軍は殿下に告げて、くるりと踵を返し跪いた。
「紅説王。謁見いただき恐悦至極にございました」
「我々は手を取り合い、魔竜を滅ぼさなければならん。ヒナタやレテラだけでなく、ルクゥ国の力を借りることもあるだろう。バルト王によろしく伝えてくれ」
「ハッ!」
ミシアン将軍は跪いたまま、拳と手のひらを打ちつけた。
(かっこいい……)
惚れ惚れしてしまう。
国は違えど、王と騎士。やっぱり絵になるなぁ……。
僕はそのとき、神聖な空気さえ感じていた。
だけどきっと、このときから既に、運命の歯車は回り出していたんだと思う。