レテラ・ロ・ルシュアールの書簡

「アイシャさんって優しいから、ちょっと突っ込んで訊いちゃうんですよね。すいません。不愉快だったら言って下さい。殺される前に止めますから」
「あはは。ヒナタのことね」

 アイシャさんは声に出して笑った。今度は苦笑じゃない。
 僕も安堵して、頬が緩んだ。

「不愉快ではないのよ。でも、自分でも上手く説明が出来ないから」
「――というと?」

「なんとなくね。最初から、彼女がぎりぎりのところで助けるつもりだったのかしらって、ちょっと思って。そういうのって、どう言うのかしらって思っただけなのよ」
「――とは?」

 僕は怪訝に眉を顰める。本人が言うだけあって、いまいち要領を得ない。アイシャさんは困ったように微笑(わら)う。

「私だったら、最初から止めるわ。だって、死んでしまう可能性だって高いでしょう? もしもこれが戦場なら、絶対に許可は出さないわ。だって、負傷した兵を助けるさいに、隊に影響が出るかも知れないんだから。もちろん、たかが一兵士の私の意見だけれど。でも、反対に、王は許可なされたわ。それは自分ならぎりぎりでも助けられるという自信や自負故なのかしら。それとも、王の慈悲なのかしら、って、疑問に思ってしまったのね」

 ああ、なるほど。
 僕は頭の中の靄が晴れたようにすっきりと理解した。でも、多分それをアイシャさんが自ら言うことはないだろう。だから、代わりに僕が口に出す。
 答え合わせもしたいという気持ちも、もちろんあった。

「その自信は欺瞞と言えるのではないだろうか。そして、優しさ故なのだとしたら、それは駄々をこねる子供を後ろで見守る大人のように、転びそうになったところをその背を支える――そういう種類のもの。でも、命のやり取りのある場所で、そういう優しさは、正しいと言えるのか」

 突然流ちょうに語りだした僕を、アイシャさんは驚いた眼で見つめる。僕は、最後に彼女の真似をして締めくくった。

「それは、果たして慈悲といえるのかしら」

 悪戯する子供のような気分で彼女を見やると、アイシャさんは図星を衝かれたように苦い顔をして、ふと笑った。

「まあ、そういうことね」
 おかしそうに笑ったアイシャさんを見て、僕は不意に思った。

「アイシャさんって、真面目っていうか、ちょっと潔癖なところありますよね。意外に完璧主義っていうか」

 アイシャさんは、ぎくっと肩を揺らした。
「……そうかしら?」
 低声で出された声音は、明らかに硬い。
(もしかして、気にしてたか?)

「え~と、見当違いならすいません」
「ううん、良いの。自分で思うのと、人が見る自分って案外違うものだもの」
「そうですよね」

 アイシャさんは取り繕ったように笑った。存外、アイシャさんは嘘が下手なんだ。なんか、可愛いな。

「でも、そっか」
「ん?」

 僕はあることを思い出して、アイシャさんを見据えた。

「ハーティム国では、女性を尊敬し、尊重するっていう考え方なんですよね」
「そうね」
 アイシャさんは当然のように顎を引く。

「だから、マルが危険な目に遭ったのが許せなかったんですね。それを止めなかった王にも不満があった」
「ええ。そうね。それはあるかも知れないわね」

 アイシャさんは思い当たったように言った。
 指摘されるまで気づかなかったみたいだ。身についた考え方というのは、意識していなくても出てくるものだもんな。

「アイシャさんって、本当に御両親から良い教育を受けて来たんですね」
「なぁに、急に?」

 アイシャさんは驚いて目を丸くし、照れたように笑った。

「いや。ちょっと、思ったんで」
 僕は思わず出てしまった本音に苦笑いする。

「ルクゥ国って、教育が受けられるのは貴族だけなんですよ」
「うちもそうよ。受けられる者もいるけど、ごく一部ね。よほど優秀じゃなければ受けられないわ」
 そうですよね、と僕は頷いた。それは本で読んで知っていたから。

「確か、驟雪でも水柳でも同じだったな。条国だけは庶民でも半数の者は教育を受けられるらしいですよ。確か、子供が一つの場所に集まって受けられる授業があるとか」

「へえ。珍しいのね。普通は家庭教師だもの」
「ですよね」
 僕は相槌を打って、
「先々代の王がそういう風にしたって紅説王に聞きました」
「へえ、立派ね。ハーティムも全ての子供達が教育を受けられるようになると良いのに」
「うん。僕もそう思います」

 僕は前を見据えた。

「倫理観は宗教によってもたらされると言う人も多いけど、僕は教育によってもたらされるものなんじゃないかと思うんです。幼少期に教わるという意味では同じだから」

 アイシャさんに向き直ると、彼女は意外そうな顔をしていた。
 驚きと、感心がまざったような顔だ。
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