レテラ・ロ・ルシュアールの書簡
「だから、アイシャさんは良い教育を受けてきたんだなと思って。同じ貴族でも、ちゃらんぽらんなやつはいるから」
「そうね。両親には感謝しかないわ」
アイシャさんは優しい瞳で微笑んだ。
「リンナード家って上流貴族なのよ。貴族の娘に生まれたからには、政略結婚に出されるのが常じゃない?」
「ええ。どこの国でもそうでしょうね」
「でも、両親は私の好きなように生きていいって言ってくれたの。官吏として働くだけでなく、戦場で戦うことも了承してくれた。能力者として生まれれば、女だって戦場に立てるでしょう。でも、そういう女性は少ないわ。両親はきっと、娘を戦場に立たせるのは心配でしょうがなかったと思うの。でも、戦場に赴くときはいつも笑って送り出してくれたわ」
僕はアイシャさんを見つめながら頷いた。
ハーティムと条国は他の国と違って、国同士で争う事はあまりない。ここ三十年以上は戦争は起きてないはずだ。
条国は外交によって五十年間それを阻止してきたけれど、ハーティムは少し事情が違う。
もちろん外交によってということもあるけれど、ハーティムと驟雪の間に流れる紅海の影響でハーティムに攻め入るのもハーティムが他国に攻め入るのも困難なんだ。やろうと思えば出来るけれど、魔竜の存在や他のドラゴンの討伐で、両国ともそんな暇はない。
だから、ハーティム国はこの三十年他国との戦争は無かった。
「アイシャさんは、竜討伐に出てたんですね」
「そうよ」
「人同士の戦いには――」
出た事は無いですよね? と、続く言葉を僕は切った。それで十分通じると思ったからだ。アイシャさんは苦笑しながら頷いた。
「そうね。それはないわ。幸いな事にね」
「アイシャさんはどうして兵士になったんですか?」
そんなに美人で頭も良ければ、そんな必要はないと思うけど。
「ドラゴンに苦しめられる人が一人でも減れば良いと思って。魔竜だけでなく、ドラゴンは人に危害を加えるものが多いでしょう。それで」
「へえ。そういえば、ハーティムは魔竜が多いそうですね」
「ええ」
アイシャさんの瞳が暗く曇ったような気がした。
「でも私は、戦場で魔竜に遭った事はここに至るまではなかったわ」
アイシャさんは何故か哀しげな表情を浮かべる。
(どうしたんだろう?)
僕は疑問に思ったけれど、それを訊く前にアイシャさんが僕に尋ねた。
「レテラはどうして記録係に就いたの?」
「僕ですか。僕は、元々物心がついたころから人の話を聞いたり、歴史や色んな物事を知るのが好きだったんですよね。ただ単にそういう理由です。アイシャさんみたく、誰かのためなんて高尚な理由じゃなくて恥ずかしいですけど」
「私だって結局は自分のためよ」
そうかな。僕とは雲泥の差のような気がする。
「それに、さっきレテラの話を聞いていて思ったんだけど、レテラには哲学的な考えが自分の中にあるんだと思うの。だって、倫理観は宗教ではなく教育で作られるものだなんて、私は考えた事もなかったもの」
「それは多分、僕が生粋のルディアナ教徒じゃないからだと思います。世界には色んな宗教があって、皆それに乗っ取って、それを信じて生きて行くけれど、僕は早い段階から色んな宗教や教えがあるというのを色んな本を読んだり、旅人を招いて聞いたりして知っていたから、ヒナタ嬢みたく生粋のルディアナ教徒じゃないんです」
言ってから、僕は苦く頬を歪めた。多分硬い笑みになっているだろう。
ヒナタ嬢のそれは生粋の教徒から見ても行き過ぎだと頭に過ぎったからだけど、僕はそれは口にしなかった。
生粋があれでは、ルディアナ教自体が疑われそうだけど、ヒナタ嬢が行き過ぎなのは誰の目から見ても明らかだし、アイシャさんはそれに気づいているだろうから。
「僕は、どの宗教にも深く関わることはしないんです。知る努力はしますけど」
「ええ。だからそれが私には考えが及ばなかったことなのよ。私だって、ハーティムのハデイ教に深く感銘しているし、その教えが一番だと信じているわ。だから道徳の教育は宗教がするものだと思っているの。だけど、レテラの話を聞いて想像してみたの。立派で高尚な人徳者が子供達に道を説いたなら、どうなるか。他にも、例えば心優しい誰かがその教えを子供達にしたのなら……きっと世界はその人のように優しい人で溢れると思うの」
アイシャさんは瞳を輝かせて、僕を見据えた。
「あなたが記録係になったのは、きっと誰かに何かを伝えるためよ」
その瞬間、アイシャさんから光が溢れたように感じて、僕は息をするのを忘れた。
「色んな人から聞いたり、自分で見て知ったものを誰かに伝えて、その人の見聞を広げる。そういう使命があなたにはあるんじゃないかしら。レテラ」
ハーティム国のハデイ教には、運命や使命に絡めて物事を見るという考え方がある。アイシャさんはその教えが身についていて、そういう結論を出したんだろう。
僕はそれを理性で知っていた。
でも、アイシャさんのその一言が、僕には啓示のように思えた。
僕の本能が、何かを見つけた瞬間だった。