レテラ・ロ・ルシュアールの書簡
「ちょっと待って。あいつ目怪我してないぞ」
僕が指摘した瞬間、縦穴の上空に何かの影が横切った。
「ヴィイイ!」
甲高い雄叫びを上げながら、遥か上空を旋回している不気味な黒い影。もう一匹の魔竜だ。ずるりと何かが滴り落ちてきて、僕のすぐ側の雪を赤く染めた。
「あいつ、怪我してる」
――ってことは、さっきの魔竜は上空の方か。
「レテラ!」
「え?」
血で染まった雪を覗きこんでいた僕は、燗海さんの叫び声にぱっと顔を上げた。上空の魔竜が急激に下降してきている。
この縦穴は、魔竜が離着陸する場所だったのか!
僕は急いで逃げ出した。
でもその時、陸にいるもう一匹の魔竜が口を開いた。
(ヤバイ、咆哮が来る!)
「どいてろ、邪魔だ」
暗い声がして、ヒナタ嬢が僕の後方へ飛び込んだ。かと思うと、わき腹に痛烈な痛みが襲ってきて、僕は一メートルくらい離れた雪の上に肩から落ちた。
(あいつ、蹴りやがったな!)
「蹴ることないだろ!」
僕の訴えを盛大に無視して、ヒナタ嬢は指を弾いた。
その瞬間、既に縦穴に鼻先を突っ込んでいた魔竜が悲鳴を上げた。
目から血が噴出し、ずるりと這い出るように弧を描く。それを見た陸にいた魔竜が、上げかけた咆哮を思わず止めた。
「貫け」
静かに出されたヒナタ嬢の声音は、洞窟内に恐ろしいほど冷たく響き、彼女の指先が向けた方向。もう一匹の魔竜目掛けて、引き出された血液が、鋭い刃の姿に形を変えて猛スピードで向った。
しかし、魔竜にぶちあたった血の刃は、魔竜を貫く事は出来なかった。魔竜は悲鳴をあげ、よろめきはしたものの、分厚い脂肪と硬い鱗のおかげで完璧に無傷だった。
「チッ」
ヒナタ嬢が舌打ちをした瞬間、血を抜かれた魔竜がぐったりしながら彼女の上に落ちて来た。
「危ない!」
彪芽さんが悲鳴を上げた。
「大丈夫だよ」
僕は小声で呟く。
「あの人がいるから」
次の瞬間、ヒナタ嬢に激突しそうになっていた魔竜の左首は、洗練された剣戟によってものの見事に切り落とされた。いわずもがな、燗海さんだ。
「愁耶さん、彪芽さん。結界を張ってください」
僕が二人を振り返ると、ぽかんとした表情で二人は頷いた。目の前の状況に頭が追いつかないんだろう。気持ちは分かる。
それでも彼らは正気に戻って、仕事に取り掛かってくれた。
相棒の死に動揺しているらしい魔竜の隙を突いて、愁耶さんが結界を張り、魔竜と彪芽さんをその中に閉じ込めた。
彪芽さんは自身に素早く結界を張り、魔王の封印を解いた。
その瞬間、魔王は爛々と輝き、僕らを倒そうと咆哮を上げた魔竜の口に自動的に吸い上げられた。
あとはいつもの通り、魔竜が内側からはじけ跳び、べたべたと肉片や臓物が結界にはりついた。
愁耶さんが結界を解くと、一瞬にしてぼとぼとと地面に落ちる。
「……つまらない」
陽光が雪に照り返され、ヒナタ嬢の金色のまつげをきらきらと輝かせた。白い肌はいっそう白く、ほんのりと色づいた紅色の頬が彼女の実年齢を感じさせない。僕は少し背も伸びたし、十八歳の頃に比べれば筋肉もついた方だと思う。
でも、彼女は変わらず少女のようだった。
反射のせいで愁いを帯びたように見える瞳が、右腕についた眼球のなにがしかと、血とで台無しだ。
僕はヒナタ嬢に近づいて、軽く声をかけた。