レテラ・ロ・ルシュアールの書簡

 僕は思わずぽつりと呟いた。
 彼は、先週ハーティム国から着たばかりの新人だった。アイシャさんが結婚するので、アイシャさんの代わりに任務にあたることになる。ただ、アイシャさんは結婚式を挙げるまで、任務から退くつもりはないようで、今はムガイへの引継ぎ期間ということだった。

「こんにちは」

 すれ違いざまに挨拶をすると、ムガイは巨躯を丸めて頭を下げた。
 薄紫色のうねっている髪がなびく。ムガイは目も合せずに通り過ぎていった。
 僕は思わず眉を顰めてしまう。

 悪いやつではないんだろうけど、彼はいかんせん無口で何を考えてるのかさっぱり解らない。声を訊いたのなんて、最初の挨拶くらいなもんだ。アイシャさんと話してるのは何回か見かけたことはあったけど、それだって返事をするくらいだった。

 仕事はきちんとするから問題ないんだけど、人と積極的にコミュニケーションを取るタイプではないみたいだ。

 それを考慮してなかった僕は、初日にあれこれと訊いてしまったせいで、苦手意識を持たれてしまったみたいで、彼からちょっと避けられている。

 訊いたって言っても、殆ど何も答えてくれなかったけど、人見知りな人がいきなりあれこれと訊かれたら答えたくても答えられないかも知れない。

 また悪い癖が出たと反省したけど、してしまったものはしょうがない。ムガイとは距離をとりつつ、少しづづ仲良くなっていけば良いだけだ。

 僕はムガイが縁側を曲がったのを見届けて研究室へ向った。
 研究室に行くと、マルが一人で何かと睨めっこしていた。例の研究途中の煙が出る呪符だ。

「ひとりか?」
 僕が声をかけると、マルは振り返った。

「うん。そう」
 答えるとすぐに机の上の呪符を凝視する。王は、おそらく政務中だろう。午前中はだいたい政務に追われてるから。

「なあ、マルは行かないのか?」
 答えは見えてるけど、ダメもとで誘ってみた。

「行かないよ。僕には課題があるからね」
 言いながらも目線はやっぱり呪符に注がれていた。

「妹に逢いたくないの?」
 僕の呆れ返った言い方に引っかかりを覚えたのか、マルは顔を上げた。

「逢いたくないわけじゃないけど、それよりも大事なことがあるんだよ。火恋にはいつでも逢えるだろ」
「相変わらずドライだよなぁ。マルは」
「そう?」
 マルは眉間にしわを寄せた。怪訝そうだ。

「そうだよ。研究に関しては情熱的だけど、対人間に関してはドライだよ。マルは」
「そうかなぁ。まあ、レテラが言うならそうなんだろうね」
「なんだよそれ」
 思わず笑ってしまった。

「だって僕、そんなこと気にしたことすらなかったから。でも、レテラは人のこと覗き見たり、観察するのが趣味だろ」
「嫌な言い方すんなよ」
 僕が突っ込むと、マルはにっと笑って八重歯を出した。

「ごめんごめん。でも事実だろ」
「まあね」
 でも別に覗きが趣味なわけじゃないぞ。

「人のことを観察してるレテラが言うんだから、そうなんだろうなってことだよ」
「いずれにせよ、お前は気にしないんだろ」
「良く分かってるじゃないか。レテラ」
 マルは得意顔で、人差し指を軽く振った。

「まったく。お前といい、陽空といい、ヒナタ嬢といい、魔竜計画に参加してるやつの大半は自分勝手っつーか、協調性がないよな。アイシャさんが抜けたら僕と王くらいじゃないのか、周りを気にするやつって」

「青説様がいるだろ」
「殿下は協調性はあるだろうけど、自国のことが最優先だろ。悪く言えば、条国のことしか考えてないっていうか……」
「確かに、外部のキミたちには未だに警戒を解いてはいないね」
「だろ」
 意外だな。マルもそう思ってたのか。

「でも、悪い人ではないんだよ」
「それは分かるよ」
 僕が頷くと、マルは机に寄りかかって生意気な表情を浮かべ、にやっと笑った。

「それにね、レテラ。職人(プロフェッショナル)ってのは往々にして自分勝手なもんさ」
「は~ん」
 僕は片方の眉を釣り上げる。
「疑ってるな」
 マルはむくれた。
「疑ってるわけじゃないよ」

 否定した後、「呆れてんだよ、自分で言うかって」とからかってやると、マルは腕を組んで、べえっと舌を突き出した。

「僕のことじゃないさ。紅説様だって研究室に篭ってるときはそうなんだぞ」
「それは知ってる」

 僕は片手を挙げる。
 王は研究に夢中になると他がまったく目に入らなくなる性質(タチ)だったからな。

「もう。レテラなんか、さっさと行っちゃえよ。研究の邪魔なんだからさ」
 マルは片手で僕をあしらった。
「はいはい。じゃあ、コインくれよ」
「ああ、そうだった」

 マルはポケットから転移のコインを出して地面に向けて放った。
 転移のコインは軽く地面に跳ねると、くるくると回ってワームホールを作りだす。

「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」

 マルはもう机の上の札に夢中だ。僕は、再びドキドキしてきた心臓を抑えて、暗い穴の中に足を踏み入れた。
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