レテラ・ロ・ルシュアールの書簡
九話

 僕は縁側を歩きながら、額から流れ出た汗を拭った。
 もう秋に差し掛かるというのに、残暑は厳しい。
 恨みを込めて、僕は太陽を睨みつけた。

 条国の夏は、月国と違って蒸し暑い。湿気が多い国柄なため、じめじめとした熱気が肌に纏わりついて不愉快だ。

 条国の夏は大嫌いだ。初めて夏を迎えた時は、湿気に慣れなくて具合が悪い日が続いた。今はもうそんなことはないけど、相変わらず不快な気分にはさせられる。

 月国は大国だから、条国のように湿気が多い地域もあるけど、僕が生まれ育った王都は、乾燥地帯だったから、夏でもそこそこ快適だった。

 故郷を懐かしんでいると、
「レテラ」
 声をかけられて、僕は振り返った。
 陽空がせっせと駆けて来る。

「おめでとう。あと一週間だな」
 祝いの言葉を告げると、陽空は、「ああ」と頷いて嬉しそうに笑む。

「結婚式は水柳で挙げるんだよな」
「ああ。俺はハーティムでも良いって言ったんだけどな」
「アイシャさんが水柳が良いって?」

「俺の方を気遣ってくれたんじゃないか。嫁になって、水柳の人間になるんだから、水柳国で挙げたいんだってさ」
「へえ。アイシャさんらしいっちゃらしいね。式には、紅説王も出席なさるんだろ?」
 僕の質問に陽空は肩を竦める。

「さあな。多分、青説殿下か、他の王族になると思うぜ。一介の外交官の結婚式に王が出席することは滅多にないだろ」
「っていうか、絶対にないね。他国なら特に」
 同意すると、陽空は僕を軽く小突いた。

「知ってるんじゃねぇか」
「通例はそうだけどさ、紅説王なら出席しそうな気がしてたんだよ」
「王は出たいと仰ってくださったけどな。例の如く青説殿下がお止めになられたよ」
「だろうね」

 妙に納得した。青説殿下がガミガミと紅説王に説教している姿が思い浮かんで、苦笑してしまった。

「でも、結婚式が終わったらお前も退任だな」
「そうだなぁ」

 陽空は頭の上で腕を組んだ。
 短い沈黙が過ぎる。

「お前とさよならするのは、ちょっと寂しいな」
 ぽつりと僕が零すと、陽空は目を丸くして僕を見据えた。
「お前からそんな言葉が出るとはな。レテラ」
「意外かよ」

 不満げな表情をした僕に、陽空は容赦なく大きく頷く。
 僕は深くため息を吐いて、思わず笑った。陽空もつられたのか、ふと笑う。ひとしきり笑い合うと、陽空は話題を変えた。

「そういえば、今日の魔竜退治、お前行くのか?」
 僕は首を横に振る。
「残念ながら、報告書が溜まっててさ。催促状が来てるんだよ」
「なんだよ。珍しいな」
「うん。まあね」

 言葉を濁した僕を見て、陽空は、「はっは~ん」と笑った。

「晃ちゃんに夢中で手につかなかったか?」
「そんなんじゃないよ」

 強めに否定したけど、図星だった。
 晃と逢えるのは、二ヶ月に一度くらいなものだ。

 本当はもっと晃に逢いに行きたかったけど、頻繁に転移のコインを使うわけにもいかない。私的だと知られれば使用を禁止される可能性もありえる。紅説王は許してくださるだろうけど、殿下に知られたらコトだからな。

 逢えない日々の殆どが、晃を想って過ごす日々だった。
 メモは相変わらず取れていたけど、取り出す機会は以前よりも減ったし、清書しようと文机に座っても、晃のことが頭から離れない。

 晃からの手紙は来ないかとか、来たら何を書こうとか、文机の前に座るとそんなことばかりが頭を占める。

 そんなわけで報告書を送る回数が減って、何をしている、どうしたと心配されたり催促されたりするようになってしまった。

 回数が減っても送ってるんだから、それで満足して欲しいもんだよ。
 むしろ以前が送り過ぎてたくらいなものだ。

 アイシャさんや陽空は、一ヶ月のうちに二回。燗海さんなんか一ヶ月のうちに一回しか自国に報告してないのに、僕は一週間に二回も送ってたんだから。
 ブスッとした表情の僕を見て勘違いしたのか、陽空は気遣うように僕をぽんと叩いた。

「まあ、あとちょっとすればまた逢えるだろ。なんなら今から行っちゃえば?」
 僕だって逢えるなら今すぐに行きたいさ。
「ありがとな」

 僕は礼だけ言って、前に向き直った。
 陽空は話題をさっきの魔竜に戻した。

「それにしても、久しぶりだな。魔竜出んの」
「そうだね」

 初めてオウスに行ってから、半年が過ぎて、今では魔竜の出没情報もめっきり減った。この三ヶ月では一回も報告が上がっていなかった。絶滅したかと思われていた矢先、条国の東地方で魔竜が二頭目撃された。つい先日のことだ。

 それで、今日の夕方ヒナタ嬢と燗海さんが王族と兵士を連れて退治に出かける。僕ももちろんついて行きたい気持ちはあるけど、いいかげん溜まった仕事を片付けなくちゃ。
 今回くらい見逃しても、どうせ結果は変わらないだろうし。

「僕は研究室行くけど、陽空はどうする?」
「俺は遠慮しとく。結婚する前にやることもあるからな」
「……」

 白い目を送った僕に、陽空はにっと悪びれなく笑った。
「浮気すんなよ!」

 離れて行く陽空に忠告すると、陽空は振り返って、「飲み屋に行くのは浮気じゃねーだろ!」と、明るく言い放った。

「〝女性のいる〟飲み屋だろ」

 僕の呆れきった独り言は、当然の如くやつには届かないだろう。
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