優しい彼と愛なき結婚
午前中は溜まった書類を片付け、午後からは外に出た。新規顧客獲得のために奮闘するつもりだ。
しかし会社を出たところで目の前に見覚えのある車が止まった。思わず一歩、一歩と後退する。
「逃げるな」
助手席から降りてきた想像通りの人物に、急に肩が凝った。頭も重い。
「車に乗れ」
いつもより荒い口調に足が止まる。
「綾人さん……」
しばらくの間、海外出張と聞いていたから、油断していた。
「またロスに戻らないとならないから、時間を取らせないでくれる?」
「…無理です。どうぞロスにお戻りください」
「随分と他人行儀な口調だね」
強引に腕を掴まれ、グッと握られる。
「君は僕の言うことだけを聞いてればいいんだ」
ああ、いつも通りだ。
乱れのない黒髪。スーツを着こなすスマートさも、磨かれた靴も、全ていつも通り。
「よくも僕に内緒で大悟と結婚したね?そんな尻軽女だとは知らなかった。父さんたちは誤魔化せても僕は騙されないよ。恋愛結婚だなんて笑わせる」
「あなたには関係ないことです」
大丈夫。
そもそも私は綾人さんとは付き合っていないし、後ろめたいことはひとつもない。
毅然として居ればいいよね。