アラサーですが異世界で婚活はじめます
 パソコンのモニターと美鈴の顔の間に、柴田の長い腕がにゅっと差し出された。幾何学模様の美しい装飾が施された、いかにも高級そうな紙箱に入ったチョコレートが、美鈴のデスクにそっと置かれる。

「フランスの新進ショコラティエの新作、日本に進出したばかりで、今、すごい人気なんだよ」

 新しい流行や話題のスイーツが、グラスに注いだばかりの炭酸水の泡のように無数に生まれては消える東京で、美鈴はそういったものに一切関心を持たずに生きている。
 
 彼女の一番の関心事は、いかに速く正確に仕事を処理するか、そのために必要な能力は何なのか。
 常にそんなことを考えていたし、彼女の休日はもっぱらスキルアップのための読書やセミナーに充てられていた。

 実際、入社して6年経った今、美鈴の活躍は上司はもちろん日本支部を統括する責任者、本社の役員レベルにまで認知されるほどになっていた。
 美鈴の望みは、周囲の期待に応え続けること、誰よりも自社に貢献できる存在でい続けることだった。

「あのさ、有坂さん」

 目の前に置かれたチョコレートの小箱を無表情に眺めている美鈴に、しびれを切らしたように柴田が呼びかけた。

「……有坂さんって、今週の金曜、何か予定ある?」

 特に親しくもない柴田がなぜ、そんなことを聞いてくるのか、理解できずに美鈴は困惑した視線を柴田に向けた。

「いや、イキナリで、ごめん……」

 指の長い、大きな手でわしゃわしゃと柔らかな髪をかき混ぜながら、柴田は言った。

「いつも、オレ、有坂さんにはお世話になってるから…。お礼に食事でもどうかなぁって……」

 仔犬が飼い主の反応をうかがっているようなあどけなく真剣な表情……濡れた仔犬の目を縁どる濃い睫毛を瞬かせて、柴田はじっと美鈴を見つめている。
 しかし、柴田のそんな表情に美鈴が心を動かされた様子はみじんもなかった。

「すみませんが、金曜は社外講習会に参加する予定なので……」

 さらりと事務的な調子でそう告げると、美鈴は再びパソコンのモニターに向き直ってキーボードを叩き始める。

 しっぽを垂らしてかなしげに去っていく仔犬のような柴田の後姿は、哀愁に満ちていたが、美鈴はそんな彼を気にもとめていない。

 自他共に認める仕事一筋のキャリアウーマン、彼女の辞書に「恋愛」という文字は、ない。

 それが美鈴という女だった。
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