アラサーですが異世界で婚活はじめます
24-3 花まつりの宵に
女性が、嫌い――?
唐突な告白に頭の中が真っ白になる。
フェリクスの表情はいたって真面目で、冗談を言っているわけでもなさそうだ。
「嫌いって……あの? どうして……」
戸惑いながらも問いかける美鈴を見つめるフェリクスの目がすうっと細められる。
「嫌いなものは、嫌いだ。私の機嫌を取ろうと、媚びを売ったり、やたら持ち上げたり。第一、きゃあきゃあうるさい」
――確かに年若い令嬢ならそんなこともあるかもしれない。
それにフェリクスのような由緒正しい家柄の、それも美男子ならば尚更、社交界に出れば大勢の取り巻きができてもおかしくはない。
「それに――」
片手に持ったままのワイングラスを軽く回してから、フェリクスは声のトーンを一段落として呟いた。
「――裏切るから。愛とか、恋とか人は言うけれど、そんなものは幻想だ」
苦々し気に放たれた言葉が、美鈴の胸を打つ。それは断定的な口調だった。
愛も、恋もいつかは冷めるもの。
――だから、恋愛なんて必要ない、だから、わたしは一人でいい。
それは、つい先ごろまで美鈴が思っていたこと――美鈴の恋愛観そのものだった。
思わず、俯いてしまった美鈴を見て、フェリクスが自嘲気味に笑う。
「……否定をしないのですね。『いいえ、そんなことはありません』……てっきり、そんな答えが返ってくるものと思っていた」
「……いいえ、フェリクス様」
美鈴の言葉に、フェリクスがそれ見たことかという期待の表情で美鈴の唇を見つめた。
「わたしも、そう思っています。……そう思っていました。現実には」
フェリクスの瞳が驚きに見開かれる。その青い瞳を見つめながら美鈴はゆっくりと続けた。
「本物の愛も、恋もないと。――そして、少なくともわたしはそんなもの必要としない人間だと」
シン、とした静寂が訪れた。
お互いの瞳の奥を覗き込みながら、時が止まったかのような静かな時間が流れた。
その静けさを破ったのはジュリアンの屈託なく明るい声だった。
「二人とも、もうダンスが始まるぞ。広場に出よう」
貴族階級の踊る、上品な舞踏曲とはちがった、底抜けに明るく生き生きとした曲調。
楽し気に腕を組んで踊る村人たちを見ながら、美鈴は先ほどのことを少し後悔し始めていた。
――あんなこと、言わなければよかったかしら。
煽るようなフェリクスの言葉に、つい本音が出てしまった。
益々、変な女だと疑いをかけられたら――ややこしいことになりはしないか。
そんな心配が頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えていったけれど、当の本人――フェリクスは先ほどの会話を忘れてしまったかのように平然と……どちらかといえば冷然としている。
村長の家に招かれ夕食会に出席した後、外へ出るとやっと少し暗くなった空には白い星が点々と見えてきた。
濃紺から透き通ったブルー、夕焼けのオレンジまで幾層にも重なった空がゆっくりと暮れていく様は息をのむほど美しい。
暮れゆく空に見惚れていると、いつの間にかフェリクスがすぐ後ろに立っていた。
「……そろそろ、お屋敷までお送りします、こちらへ」
素気なくそう言うと、ヴァンタール家の馬車へ美鈴を案内し、手を取って馬車に乗り込ませる。
「ジュリアン様はどこへ?」
先ほどまで村長と立ち話をしていたジュリアンの姿が見えない。
「彼は、もう少しこちらで用があるので。……お屋敷へは私が同行します」
まだ、陽が完全に暮れていないとはいえ、田舎道には夕闇が差し迫っている。
薄闇の中で村の灯りが遠くなり、近く遠くに地面を這うような暗い森の影が見える。
昼間とはまるで別世界。さきほどまで祭りの余韻で賑やかな村の中にいたせいか、夕闇に染まった景色が余計淋しいものに見える。
夏は昼間と夜で寒暖の差が激しいこの国では、陽が落ちてからは一層肌寒くなる。
羽織っていたショールをしっかりと巻き直して、美鈴は冷たくなった両手を合わせた。
「……冷えてきましたね」
ポツリと、フェリクスが呟いた。
ここから子爵家まではまだだいぶ距離がある。少し躊躇した後に、羽織っていた上着を脱ぐと美鈴に差し出す。
「これを、お使いください」
「あ……ありがとうございます」
麻のような軽い素材のブルーの上衣は羽織ると腕の部分が余ってしまうくらい美鈴の身体には大分大きかった。
「先ほどは……申し訳なかった。変なことを言って……」
そう言って俯いたフェリクスの亜麻色の髪は、薄闇では銀髪のように儚く白く輝いて見える。
「……でも、あれはまぎれもない私の本心だ。今までたった一人にしか打ち明けたことはなかったけれど……」
迷うように、フェリクスの瞳が揺れている。
「いいえ、気にしておりませんわ。ご安心なさって」
そう言って美鈴が軽く微笑むと、フェリクスはほっとしたようにうなずいた。
とてつもなく優雅で気品に満ちていながら、どこか儚さを秘めている。危うさがある。
もしかしたら、そのアンバランスさにこそ、世の令嬢たちは魅力を感じているのだろうか。
とてつもなく魅力的なのに、色恋に対してまったく興味のない男性――そんな男性がいたら、確かに放っておかれることはないだろう。
何としてでも、振り向かせたい。その心を虜にしたい……! そう願う女性が出てきても少しも不思議ではない。
そんな風に客観的に――やや冷ややかな見方でフェリクスについて考えているうちに馬車はルクリュ家の別荘地へ入り、屋敷の敷地内へと進んでいく。
「今日は、お付き合いいただきありがとうございました」
美鈴の手を取り、馬車から降りるのを助けながら、フェリクスが言った。
「お祭り見物、楽しかったですわ。……ありがとうございます。この、上衣も」
そう言って美鈴は上衣を脱ぐと、簡単にたたんでフェリクスに差し出した。
あとは、フェリクスを乗せた馬車が立ち去るのを見送るのみ――。
あんな秘密を打ち明けたのだから、当分わたしとは関わりたくはないはず……。
……その美鈴の予想に反して、フェリクスは馬車に乗り込む様子もなく、じっと美鈴を見つめている。
「……? フェリクス様?」
しびれを切らして呼びかけた美鈴の手をフェリクスの手がしっかりと握った。
「えっ……」
「ミレイ殿……。私は貴女のことがもっと知りたい」
そう言うフェリクスの目は真剣だった。
「また、お会いしましょう。ぜひ近いうちに」
それだけ一息に言うと踵を返し、フェリクスは風のように去っていった。
唐突な告白に頭の中が真っ白になる。
フェリクスの表情はいたって真面目で、冗談を言っているわけでもなさそうだ。
「嫌いって……あの? どうして……」
戸惑いながらも問いかける美鈴を見つめるフェリクスの目がすうっと細められる。
「嫌いなものは、嫌いだ。私の機嫌を取ろうと、媚びを売ったり、やたら持ち上げたり。第一、きゃあきゃあうるさい」
――確かに年若い令嬢ならそんなこともあるかもしれない。
それにフェリクスのような由緒正しい家柄の、それも美男子ならば尚更、社交界に出れば大勢の取り巻きができてもおかしくはない。
「それに――」
片手に持ったままのワイングラスを軽く回してから、フェリクスは声のトーンを一段落として呟いた。
「――裏切るから。愛とか、恋とか人は言うけれど、そんなものは幻想だ」
苦々し気に放たれた言葉が、美鈴の胸を打つ。それは断定的な口調だった。
愛も、恋もいつかは冷めるもの。
――だから、恋愛なんて必要ない、だから、わたしは一人でいい。
それは、つい先ごろまで美鈴が思っていたこと――美鈴の恋愛観そのものだった。
思わず、俯いてしまった美鈴を見て、フェリクスが自嘲気味に笑う。
「……否定をしないのですね。『いいえ、そんなことはありません』……てっきり、そんな答えが返ってくるものと思っていた」
「……いいえ、フェリクス様」
美鈴の言葉に、フェリクスがそれ見たことかという期待の表情で美鈴の唇を見つめた。
「わたしも、そう思っています。……そう思っていました。現実には」
フェリクスの瞳が驚きに見開かれる。その青い瞳を見つめながら美鈴はゆっくりと続けた。
「本物の愛も、恋もないと。――そして、少なくともわたしはそんなもの必要としない人間だと」
シン、とした静寂が訪れた。
お互いの瞳の奥を覗き込みながら、時が止まったかのような静かな時間が流れた。
その静けさを破ったのはジュリアンの屈託なく明るい声だった。
「二人とも、もうダンスが始まるぞ。広場に出よう」
貴族階級の踊る、上品な舞踏曲とはちがった、底抜けに明るく生き生きとした曲調。
楽し気に腕を組んで踊る村人たちを見ながら、美鈴は先ほどのことを少し後悔し始めていた。
――あんなこと、言わなければよかったかしら。
煽るようなフェリクスの言葉に、つい本音が出てしまった。
益々、変な女だと疑いをかけられたら――ややこしいことになりはしないか。
そんな心配が頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えていったけれど、当の本人――フェリクスは先ほどの会話を忘れてしまったかのように平然と……どちらかといえば冷然としている。
村長の家に招かれ夕食会に出席した後、外へ出るとやっと少し暗くなった空には白い星が点々と見えてきた。
濃紺から透き通ったブルー、夕焼けのオレンジまで幾層にも重なった空がゆっくりと暮れていく様は息をのむほど美しい。
暮れゆく空に見惚れていると、いつの間にかフェリクスがすぐ後ろに立っていた。
「……そろそろ、お屋敷までお送りします、こちらへ」
素気なくそう言うと、ヴァンタール家の馬車へ美鈴を案内し、手を取って馬車に乗り込ませる。
「ジュリアン様はどこへ?」
先ほどまで村長と立ち話をしていたジュリアンの姿が見えない。
「彼は、もう少しこちらで用があるので。……お屋敷へは私が同行します」
まだ、陽が完全に暮れていないとはいえ、田舎道には夕闇が差し迫っている。
薄闇の中で村の灯りが遠くなり、近く遠くに地面を這うような暗い森の影が見える。
昼間とはまるで別世界。さきほどまで祭りの余韻で賑やかな村の中にいたせいか、夕闇に染まった景色が余計淋しいものに見える。
夏は昼間と夜で寒暖の差が激しいこの国では、陽が落ちてからは一層肌寒くなる。
羽織っていたショールをしっかりと巻き直して、美鈴は冷たくなった両手を合わせた。
「……冷えてきましたね」
ポツリと、フェリクスが呟いた。
ここから子爵家まではまだだいぶ距離がある。少し躊躇した後に、羽織っていた上着を脱ぐと美鈴に差し出す。
「これを、お使いください」
「あ……ありがとうございます」
麻のような軽い素材のブルーの上衣は羽織ると腕の部分が余ってしまうくらい美鈴の身体には大分大きかった。
「先ほどは……申し訳なかった。変なことを言って……」
そう言って俯いたフェリクスの亜麻色の髪は、薄闇では銀髪のように儚く白く輝いて見える。
「……でも、あれはまぎれもない私の本心だ。今までたった一人にしか打ち明けたことはなかったけれど……」
迷うように、フェリクスの瞳が揺れている。
「いいえ、気にしておりませんわ。ご安心なさって」
そう言って美鈴が軽く微笑むと、フェリクスはほっとしたようにうなずいた。
とてつもなく優雅で気品に満ちていながら、どこか儚さを秘めている。危うさがある。
もしかしたら、そのアンバランスさにこそ、世の令嬢たちは魅力を感じているのだろうか。
とてつもなく魅力的なのに、色恋に対してまったく興味のない男性――そんな男性がいたら、確かに放っておかれることはないだろう。
何としてでも、振り向かせたい。その心を虜にしたい……! そう願う女性が出てきても少しも不思議ではない。
そんな風に客観的に――やや冷ややかな見方でフェリクスについて考えているうちに馬車はルクリュ家の別荘地へ入り、屋敷の敷地内へと進んでいく。
「今日は、お付き合いいただきありがとうございました」
美鈴の手を取り、馬車から降りるのを助けながら、フェリクスが言った。
「お祭り見物、楽しかったですわ。……ありがとうございます。この、上衣も」
そう言って美鈴は上衣を脱ぐと、簡単にたたんでフェリクスに差し出した。
あとは、フェリクスを乗せた馬車が立ち去るのを見送るのみ――。
あんな秘密を打ち明けたのだから、当分わたしとは関わりたくはないはず……。
……その美鈴の予想に反して、フェリクスは馬車に乗り込む様子もなく、じっと美鈴を見つめている。
「……? フェリクス様?」
しびれを切らして呼びかけた美鈴の手をフェリクスの手がしっかりと握った。
「えっ……」
「ミレイ殿……。私は貴女のことがもっと知りたい」
そう言うフェリクスの目は真剣だった。
「また、お会いしましょう。ぜひ近いうちに」
それだけ一息に言うと踵を返し、フェリクスは風のように去っていった。