【完】STRAY CAT
「わかった。近づかねーよ。
……お前が大丈夫になるまで何もしない」
ソファの少し手前で屈み込む。
ぽろぽろ泣き続ける鞠とコミュニケーションを取ることは難しいと判断したのか、黒田さんがゆっくりと口を開いた。
「……先ほど、お嬢様は誘拐に遭われました。
そして、その先で、」
「………」
「未遂、では、ありますが。
暴力を受けられ、私が駆け付けたあとに意識を失われて。……目が覚めてからはもう、この状態です」
"暴力"が何を意味するか、"未遂"という言葉を使われればわかる。
暴行ではなく暴力。……何もかも、傷つけられた。
力の差で勝てるわけがない男に、肌を暴かれて。
触れられる恐怖がどれほどのものかなんて、俺にはわからない。わからないけど、鞠が深く傷ついてしまったことはわかる。……それに。
「相手の男は?」
もはや男への殺意が隠しきれない。
明らかに声が低くなる俺の問い掛けに、黒田さんは「初瀬という男です」と返してきた。……初瀬、って。
「"あいつ"じゃ、」
「ああ、息子ではなく、父親の方です」
心臓が引き攣りそうになる。
……俺がもし、鞠の誘いに、乗っていたら?
鞠の部屋まで一緒に行っていたら?
マンションの前まで見送ったからって安心しきって。
返事がないことに違和感を覚えたのだって、気のせいかと見過ごして。あすみが言い出すまで、何も動けなかった。