拝啓ヒトラーさん
私は今までの人生で起こったことをかなり細部まで覚えているが、ある期間だけ記憶がぽっかり抜けている。
生まれてから前川家に来るまでの6年間の記憶がないのだ。
どうやらそれは「解離性健忘」らしい。
強いストレスから自分の心を守るため、大きなショックを受けた出来事の記憶を失っている状態。
戦争、天災、虐待といった強い精神的衝撃が起因する。
ということは、私は虐待にあっていたのだろうか?
それとも家族でなんらかの天災にあったのか?
私の本当の家族に何があったか、先生も前川夫婦も決して何も言わなかった。
臭い物に蓋をするように、私の6年間は思い出せないまま。
記憶の話をしない代わりに、先生と前川夫婦はよく私の「特徴」について話をした。
私が前川夫婦に引き取られると決まった時から、高頻度で話し合われてきた内容だ。
「前川さん、春さんはかなり特別な子ですよ」
どこか興奮した様子でそう話し出した先生を覚えている。
薬品とは違う、ぬるい匂いが漂う病院だった。
児童精神科の先生。
「特別とは、どういうことです?」
「まずはこれを」
そう言って先生が出したいくつもの紙の束。
IQテスト、性格鑑定、ウェクスラー式知能検査とその他にも多くの資料が出されていた。
私は10日前にやったテストの結果だな、とぼんやりと思っていた。
紙をめくる前川夫婦の顔はどこかこわばっていた。