PTSDユートピア
僕は先生の言ったことを想像し、思わず身震いした。

お金がもらえるのももちろん嬉しい。でもそれ以上に、このボタン一つ押すだけ僕は手にすることができる。

自分の存在理由を。大勢のユーザーに『先駆者』と認められる栄誉を。

もちろんこれはケニー先生が仕立てあげた茶番であり、僕自身はまだ何の力もないことだって分かっている。奈波だって歌は上手いが、それでもプロの作品には遠く及ばない。

それでも、このアプリが本当の意味で僕たちの理想郷になるなら――

「奈波――僕は」

「……ダメッ!」



突然奈波は叫ぶと、スマホを持つ僕の手を手探りで抑えた。

「ど、どうしたの奈波⁉」

「やっぱりダメ! 私は……私はずっとこのままでいたい」

「どうしてだよ⁉」



彼女の言っている意味が分からなかった。

「一緒にここまで頑張ってきたじゃないか! ケニー先生はそれを認めて、僕たちが先駆者になれるチャンスを与えてくれているのに……奈波だって僕と同じ気持ちだったはずだろ!」

「確かに最初はそう思ってた……だけど気づいてしまったの。もしそのボタンを押せば、私と勇樹はもう一緒にはいられない」

「だからどうして⁉」



察しの悪い自分自身にもイラつきつつ叫ぶと、奈波は弱弱しい声で告げた。

「だって、私は目が見えないんだよ……? この一か月だって勇樹はほとんど付きっきりで私の作業を手伝ってくれた。でも私たちが先駆者になって、大勢の人から注目を浴びたらそうはいかない。二人でいつも一緒にいる所を見られたらどんな噂が立つかも分からないし……何より、私が勇樹の活動の邪魔になるのだけは絶対に嫌!」



そんなこと気にするな……とは言えなかった。

確かに僕たちがユートピアート上――ネット上の有名人になれば何かと注目される。

二人の関係性がバレれば、私生活まで脅かされかねない。

そして、彼女の介護のせいで僕の執筆が遅れたのも事実だった。実際、一人で集中して取り組めば半月で終わる量だっただろう。

きっと、奈波はそんなことまで何もかも見透かしている。

目が見えないからこそ、奈波は誰よりも真実を見ている。



それでも――僕は、目の前の降って湧いたチャンスを見逃すことなんて出来なかった。
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