幼馴染でストーカーな彼と結婚したら。
その日、学会で受付を手伝っていると、今しがた受付したM大の美人な女性の先生が、
「健一郎」
と言って手を振ったので、私は思わずそちらに目をやった。
(今、健一郎って言った……?)
振り返ると確かに健一郎がそこに立っている。
女性の先生が呼んだ相手はやっぱり健一郎だったようで、健一郎がその手を振り返す。私はなぜか二人の姿を目で追っていた。
うん、間違いなく美人な女性。身長は高く、細身、胸は大きくて、足は細い。モデルみたいだ。長い黒髪を適当に一つに束ねているけど、それでも間違いなくその美しさが隠されることなく漂っている。
どうして神と言うのは、なんでも一人の人間に与えるのだろうか? 何もない人間はどう太刀打ちすればいいのだろうか……と訳の分からないことにまで考えが及んだ。
そしてもう一度ふと意識を戻してみると、おかしなことに気づく。
(ちょっと待って。さっきこの先生、健一郎って言ったよね……?)
健一郎が呼び捨てにされてるのは、私以外で初めて聞いた。
健一郎は、以前の名字である『東宮先生』か、今の『佐伯先生』としか呼ばれるのを聞いたことがない。『健一郎』と呼び捨てにするのは私だけなのだ。
健一郎はやってきたその先生に笑って、久しぶり、と言う。
(久しぶりってことは昔の知り合い……だよね?)
そう考えて、胸がドキリと鳴った。
女の先生は健一郎をまっすぐ見て話している。
「今日はしっかり基調講演聞かせてもらうわね。しかも、メインはあのハリス教授でしょ。失敗できないわねー」
そう言って笑った顔があまりに美人で私が見とれてしまう。
健一郎は苦笑すると、
「そんなに僕にプレッシャー与えて楽しい?」
「とっても」
「まったくもう」
いつも私にするのと同じような、少し困った顔で笑っている健一郎を見て、つい、むっとした。
(なんだよ。あの困ったように笑った顔は私にだけ見せている顔ではないのか……?)
いいけど……別にいいんだけど!
でもなんだか腑に落ちない。
(そういう顔をする相手、他にもいるんじゃない……)
そうしていたら、隣に森下先生が来て驚いたように呟く。
「あれ……もしかして……」
「ご存じなんですか?」
「えーっと……まぁ、ね」
「誰ですか」
「M大の桐本桃子先生」
「健一郎と知り合い、なんでしょうね……」
「知り合いって言うか……」
「もしかして彼女だった、とか」
そう思ったのは二人の距離が近いからだ。森下先生は、う……と言葉に詰まっていた。
「やっぱりそうですか」
そう言い放って、私は受付業務に戻る。
(元彼女……)
確かに二人の間には何か特別な空気が漂っている。恋愛に疎い私にすらわかるような……そんな空気だ。私は自分の心の中がすっと冷たくなっているのを感じていた。
森下先生は少し慌てたように続ける。
「でも、ほら、元、だからね」
「別に気にしてませんよ」
健一郎は一人暮らしをしていた時期が長い。
医学部生はモテると聞いてるから、あの健一郎も例外ではないのかもしれない。彼女だっていただろうし、それは当たり前のことで、不思議ではないのだ。
(別に私には関係ないし。気にもならない)
そう思って吸い忘れていた空気を吸った。