きみはハリネズミ
「高坂!……さん」


教室を出てすぐ、呼び止められて何事かと振り向くと天川さんがこちらに向かって歩いてきた。


その表情がどこか堅い。


「えっと、なんか持ってきた方がいいものとか」


「ごめん」


狼狽えてしまうほど、真っ直ぐな声だった。


「…え?」


「高坂…さんのこと疑った。だから、ごめん」


天川さんの絹みたいなポニーテールがさらりと揺れる。


意外だった。


天川さんはいつもクラスの中心にいて、関わることのない人だと、


私のことはきっと目にも入っていないんだろうと、心の何処かで思っていた。


綺麗に縁取られた赤い唇も、彩られた目元も、違う世界のものだった。


だけど今、


ここにも届いた人がいるんだ。


そう思うと心がじんわりと暖かくなった。


「…あれは疑っても仕方なかったと思うよ。名前、入ってたし」


「それだけじゃないんだ」


天川さんが苦虫を噛み潰したような表情で遮る。


「昨日の放課後、高坂さんに酷いことを言った。私、高坂さんのこと誤解して、うちらと距離を置いてるんだと思ってた。

文化祭もやりたくないんだろうなって思ったら、最後なのになんでって」


あぁ、あれは天川さんだったんだ。


そう気づくと同時に、ふと記憶が脳裏を掠めた。


あの日天川さんの手に握られていたのはスタッフ全員分の衣装だった。


メルヘンチックに凝られた衣装は思ったより難航して、細かい作業がどうしても進まなかった。


そんな中、姐御肌で面倒見のいい天川さんはたった1人で全員の衣装を器用に縫って完成させたのだ。




だから、




だからきっと、あの悪意の象徴を目にして1番悔しいと唇を噛んだのは天川さんだ。


「距離を取ってたのは事実だよ。……私、人と関わるのが苦手で、上手くできなくて。でも、天川さんがちゃんと聞いてくれたから。だから、話せた。聞いてくれてありがとう」


言葉は時に凶器にもなる。


なのに本物の凶器と違って取り締まれないのは、きっと言葉が心の処方箋になることがあるからだ。


天川さんは多分、立つべくしてピラミッドの頂点にたった人。


自分の言葉の持つ意味を知っている人だ。


前は苦々しく思っていたその地位も、今はなんとも思わなかった。


「私、嬉しかった。あんたがクラスの空気変えてくれて。文化祭、私が絶対成功させるから」


天川さんが真っ直ぐ、私の目を射抜くように言った。




大丈夫だ。




こんなに正直に向き合ってくれる人がいるなら、




きっと、上手くいく。




「じゃあ、私衣装しなきゃだから」


天川さんはそういうと踵を返して教室に戻っていく。


ふと、その足をぴたりと止めた。


それから私を振り返る。


「私の名前、尋っていうの」


照れたような表情でそれだけ言うと、天川さん……尋はまた教室に足を向けた。


「私も、なこでいいから……!」


その背中に向かって叫ぶと、尋は右手をひらりと振った。
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