きみはハリネズミ




「冷た…!」



ヒタリ、と頬に冷気が触れた。



驚いて見上げると茅ヶ崎くんがいたずらっぽく笑っている。



「お疲れ様」



差し出されたのはあの日と同じイチゴミルクだった。



茅ヶ崎くんもその手に同じものを握っている。



汗をかいたそれはやっぱりいちごがたくさんプリントされていた。



「あ…もしかして嫌いだった?」



茅ヶ崎くんが私の横に並びながら聞いた。



「ううん」



首を横に振りつつ、ありがたく受け取る。



手のひらに触れる温度が気持ちいい。



「“前は”ね」



そう、“前は”。



嫌いだった。



甘ったるいイチゴミルクは青春の欠片みたいだったから。



「めっちゃ探した。まさかバルコニーにいるとは思わなかった」



茅ヶ崎くんは手すりに掛けた腕に顔を埋める。



「少し、嬉しさを噛み締めたくて」



表彰が終わって、ひとしきり感動を分かち合った後、みんなは写真撮影に移行していった。



色んな感情が溢れて、少し風に当たりたくなった私は、一足先に退散して、人気のないバルコニーにやってきたのだった。



「……私に何か用事あった?」



「うん」



茅ヶ崎くんは腕に頭を乗せたまま私を見上げる。












「おめでとう、なこ」











茅ヶ崎くんが優しく笑う。




ふわり。




私と茅ヶ崎くんの髪が風に揺れた。




モノクロの世界が色づいていくみたいだった。




一瞬で、光が溢れるように。




違うんだよ、茅ヶ崎くん。




私はずっと君に勇気をもらってるんだ。




君の暖かい手が、優しい笑顔が、私に前に進む力をくれるんだ。




「茅ヶ崎くんが背中を押してくれたから。だから、みんなで同じ方向を向けた」



あの時絡めた手の温もりを、胸の高鳴りを、私は何年先もきっと思い出すだろう。



「違うよ」



茅ヶ崎くんは頭を上げて私に向き直る。



「なこの想いがみんなを変えたんだ」





あぁ、この人は。





茅ヶ崎くんはどこまでも太陽に似ている。





こうやってまた、私の道を照らしてくれる。





大丈夫だよって手を伸ばしてくれるんだ。







「今日、思ったんだ。私、中学の頃友達を傷つけて、人を傷つけるのも傷つくのも怖くなって。ずっと線を引いてきたの。
だけど本当は人との距離を測る定規なんてないんだって。手を伸ばせば、ずっとそこにみんなはいたんだ」






茅ヶ崎くんが教えてくれた。



吸い込まれそうな空の蒼さも、



流した涙の優しさも、



溢れ出す感情も、



全部、君が。



私はイチゴミルクを手のひらで転がす。



「初めて話した時もイチゴミルクだったね」



「そうだっけ」



茅ヶ崎くんは小さく笑う。



あの日から全てが始まった。



あの時、茅ヶ崎くんが声をかけてくれなかったら今の私はきっとここにいない。



「…どうして私を助けてくれたの?」



茅ヶ崎くんはうーん、と唸ってそれからゆっくりと口を開いた。



「似てたから、かな。教室の端で無理して笑ってる姿が小学生の頃の自分と重なって放って置けなかったんだ。…助けようとか意識したつもりはないんだけど」



茅ヶ崎くんはそう言うとイチゴミルクを一口、口に含んだ。



「私、一生ないと思ってた。こんなに色んな人が私におめでとう、って。心の底から笑い合えるなんてもうないんだって。でも、茅ヶ崎くんがこんなに綺麗な景色を見せてくれた。私一生忘れない」



真っ直ぐに茅ヶ崎くんを見る。



もう目は逸らさない。



「ありがとう、茅ヶ崎くん」



ずっと、うまく笑えなかった。



笑わなきゃ。



そう意識すればするほど、体が強ばった。



でも、今は。



「………っそれ反則だから」



「え?」



───ゴンッ



「「あ」」



茅ヶ崎くんのイチゴミルクが滑り落ちて鈍い音を立てた。



拾おうと伸ばした手が茅ヶ崎くんの手とぶつかる。



「ごめ…」






茅ヶ崎くんの吸い込まれるような深いブラウンの瞳が私を映した。






そして






引き寄せられるように唇が重なる。






…………






ゆっくりと目を開けると、青い空が茅ヶ崎くんを抱き締めていた。





頬を撫でる風は新しい季節の予感を告げている。




「甘いね」




そう呟くと、茅ヶ崎くんは照れたように笑った。
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