太陽と月
私が捨てられた日
『お前は捨てられたのか?』
と、その男は私の目の前に立った。
ガヤガヤしているプレイルームには不似合いの男だと思った。
冷めた目で私を見下ろしてくる男をキッと睨みつけて声を振り絞る。
『捨てられてない。ママは私を捨てたりしない。お仕事で遠くに行っただけ。必ず迎えに来るって約束した。』
ママに貰った、マリア様が彫刻されたネックレスをギュッと握りしめた。
男は相変わらず、私を見下ろしたまま
『本当に?その言葉を本当に信じてるのか?
君がここに来てもう3年も経つのに?』
バカにした様にくくっと笑う。
ここは、孤児院“海の星”。
親や身寄りがない子ども達が暮らす施設。
私は、確かにこの男の言うように3年前の9歳の冬に預けられた。
捨てられたんじゃない。
少しの間だけ、ここに居るだけだ。
見下ろしていた男は、しゃがみ込み私の大切なネックレスを掴み言葉を続ける。
『聖母マリアね…。いいか。よく聞け。お前は捨てられたんだ。いつか迎えに来てくれるなんて、夢物語だ。本当はお前も薄々気付いてるだろ?
自分は捨てられたんだって事が。』
男はネックレスから手を離し、真っ直ぐと私の目を見てくる。
蛇のような目から、思わず目を逸らし下を向く。
そんな私の顎をグット上に引き上げ、言葉を続ける。
『目を逸らすな。現実から。』
ジッと私を見つめる目は、先程の蛇のような目ではなく、少しだけ悲しみを感じさせた。
『違う!捨てられてない!ママは迎えに来る!いい子にしてたら迎えに来るって言った!』
だから私は誰よりもいい子でいた。
孤児院横の小さな教会の床掃除も毎日した。
月に1回、貰える僅かなお小遣いも使わずに貯金してる。
下の子の面倒も誰よりも率先してみてる。
大嫌いな野菜だって残すこと事ない。
だから、ママはもうすぐ迎えに来る。
『頑張ったね。いい子だったね。』って
ギュッと抱き締めてくれる。
毎日、マリア様にお祈りをした。
『どうか、1日でも早くママが迎えに来てくれますように』と。
でも、心の何処かで気付いていた。
何度と何度も出した手紙の返事が来ない事や、鳴らした電話はもう使われていない事。
学校の帰りに、ママの職場をコッソリ見に行ったらもうそこに、ママはいなかった事。
”私は捨てられた“
本当は気付いていたけど、気付かないフリをしていたんだ。
『お前は捨てられたんだ。大好きなママに、捨てられた。本当は分かってんだろ?』
男は私の目を見つめたまま、聞きたくない言葉を並べる。
私は立ち上がり、男の肩をドンと押した。
私の弱い力じゃ、男はビクリともしなかったけど私は精一杯の声を出す。
『違う!違う!違う!黙れ!黙れ!黙れ!私は捨てられてなんない!そんなの嘘だ!』
急に大声を出した私の声に驚いた、先生が駆け寄って来た。
『莉愛ちゃん。どうしたの?』と私の顔を覗き込む。
孤児院で私が1番大好きな、遥先生だ。
私は遥先生の胸に飛び込み、ギュッと背中に手を回した。
『遥先生、私捨てられてないよね?ママは迎えに来るよね?』
何度目だろ。
この言葉を遥先生に聞くのは。
その度に遥先生は私の手をギュッと握って答えてくれる。
『莉愛ちゃんのママはきっと迎えに来る。ママを信じて待っていようね。マリア様がきっとその願いを叶えてくれるから。』
だから、きっと今もその言葉を言ってくれる。
でも…静寂が続いた。
不安になって遥先生の顔を見上げると、そこには悲しさに溢れた目があった。
『遥先生…?』
何で?どうしたの?言ってよ。いつもみたいに。
遥先生は私の頭を撫でて何かを言おうとした時に、再びあの男の声がした。
『先生。何言うつもりですか?適当な嘘をつくつもりですか?その場しのぎの言葉でこいつを安心させる気ですか?それってマリア様とやらに失礼なんじゃないですかね?』
とニヒルな笑い方をした。
遥先生は、再び私をギュッと抱き締めて男に言い放った。
『うっ嘘なんて!』
遥先生の少し上ずった声が頭に響く。
『ですよね。毎日毎日、マリア様とやらに祈ってる先生が嘘なんてついちゃダメですよね。だったらハッキリと言いましょうよ。こいつの母親は昨日、たった10万円ポッチを持って来て、二度とここには来れないって言った事を。コイツの里親を探してくれって言って去った事を』
男の言ってる言葉が分からなかった。
いや、分かったけど、分からないフリをまたした。
遥先生の抱き締める力が強くなった。
男は遥先生に抱きついたままの私を無理矢理、引き離し自分の方に向き合わせた。
『いいか。お前は昨日母親に捨てられたんだ。お前を二度と迎えに来ない。それが現実だ。』
“わたしはすてられた”
12歳の誕生日を迎えた3月9日に大好きだった母親に捨てられたんだ。
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