このお見合い、謹んでお断り申し上げます~旦那様はエリート御曹司~
ぱっ!と彼からヘアゴムを奪い、急いで洗面所に駆け込む私。時折気まぐれにちょっかいを出してくる彼は、何を考えているのか分からない猫のようだ。
しかしこのような日常のエピソードを誰かに話したところで惚気にしか思われないのは、きっと私が翻弄されることを嫌じゃないと思っている節があるからなのだろう。
なんだか悔しい。
シャラ…、と首元に光るのは、誕生日にもらったネックレスだ。いつも、こっそり忍ばせている。
(実は、さりげなくネックレスが見えるようにしたいと思って、髪をあげてるんだけどな…)
そんな乙女心に彼は気付いていないらしい。少しモヤモヤしながら再び髪を上げたその時。ふと、鏡に映る自分の首元に、さっきは気付かなかった“跡”が見えた。
「!」
それは、紛れもないキスマーク。シャツの襟から覗くそれは、明らかに“昨夜”のものだ。
ぱさ、と手から髪が滑り落ちる。
全てを察した私はなんとも言えない恥ずかしさでいっぱいになり、すごすごと玄関に向かった。すでに靴を履いてスーツのジャケットを羽織っていた律さんは、車のキーを片手に、ふっ、と笑う。
「髪はあげなくていいのか?」
「…い、いじわるですね…」
「ははっ。早くおいで。」
心なしか楽しそうな彼。複雑な心境でパンプスを履き、彼に続こうと顔を上げると、ふわり、と長い指が頬に添えられる。
ーーちゅ。
一瞬だけ掠め取られた唇。不意打ちのキスに目を丸くすると、何も言わずに満足げに微笑を浮かべた彼は颯爽と玄関を出て行った。
(同時に家を出て車で送ってくれるのに、行ってきますのキスが恒例化している…。…慣れてきている自分が怖い…)
クールな彼の密かな溺愛っぷりに翻弄されつつも、私は熱くなる頬を覆いながら家を出た。
ーーこの時の私はまだ、いつもと同じ平和な一日が始まったと信じて、疑いもしなかったのだ。