嫁入り契約~御曹司は新妻を独占したい~
そしてちょうど良すぎるタイミングで長瀬さんが入室してきて、放心している私を室外へと誘導した。
動きの緩慢な牛を移動させる、牧場主みたいに。


「茅部さん、こちらが契約書です」


連れていかれた秘書室で手渡されたのは、A3が入る大きめの茶封筒だった。


「け、契約書?」
「はい。口約束に拘束力はありませんので押印していただきたいところですが、社長はあなたのことを信用しています。くれぐれも裏切ることのないように、よろしくお願いいたします」


長瀬さんは丁寧に頭を下げる。
にっこりと両目を糸みたいに細める、張り付いたような笑顔は友好的というよりも、むしろ完璧すぎて怖い。


「必ず、お目を通してくださいね」
「わ、かりました……」


震える手で受け取って、私は依然不自然なくらい満面の笑みを浮かべる長瀬さんを上目遣いでちらりと見上げた。


「あの、昨日の夜、借金を……」
「ええ、人目につかない遅い時間に返済しました。今後取り立ての心配はありません」
「はあ、ありがとうございました」


私がお辞儀をすると、長瀬さんは驚いたように目を見開いた。


「礼には及びません。契約ですので」


メガネのレンズが乱反射して、きらりと光る。


「そそ、そうでした、ね」


はは、っと取り繕うように笑った私の乾いた声が、朝の静かなオフィスに響く。


「あの……長瀬さん。社長はどうして、結婚を急いでいるのですか?」


とにかく急いでいる、の一点張りで、追々説明してくれるはずのその理由がよく分からないままだった。


「それは、結婚し、配偶者を得ることで社会的な立場として安定することが今の社長にとって急務だからです」
「は、はあ……」


理解したような、してないような。
うまく交わされた……?
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