嫁入り契約~御曹司は新妻を独占したい~
芳樹社長に会ったとき、リップを塗られてもドキドキしなかった。そわそわする恥ずかしさはあったけど、ときめくようなものじゃなかった。

けれども薫さんに対しては違う。
素敵なものは共有したい、そばにいたら安心する。
その反面、目が合うだけでドキドキして、全身が心臓になったみたい。
自分じゃ触れられない部分がもどかしくて、心が苦しい。

一緒に生活する上で、そういう思いが募ってしまった。

私がずっと、契約妻をやめられなかったのは……たぶん、家族のためだけじゃない。
もっと、薫さんのそばにいたかったんだ。

まるで万華鏡みたいにくるりと回すたびに見える新たな一面を、一番近くで見ていたいという欲が出たんだ。


「……薫社長たち、エレベーターに乗ってっちゃったね」


二人は部屋に行ったのかな。最上階のスイートかな。
今夜は、帰ってこないかも……。

私との宿泊は長瀬さんに断ったのに、彼女とならできるんだね。

ずっとお兄さんを恨むほど、今は女性には興味ないと虚勢を張るほど好きで、忘れられない人がいるまま、契約結婚生活を続けるなんて。

私には耐えられない。

好きになってしまったから。


「もう無理……このままじゃ、ダメだよね……」


私の背中をさすってくれた詩織は、バッグの中からハンカチを取り出して、依然口元を覆う私の手に持たせた。


「一華……」


詩織から受け取ったハンカチで、私は涙を拭いた。
潤む視界には、眉を下降させて今にも泣きそうな表情の詩織が映った。
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