溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
 キャビンを出ていこうとする彼を私は呼び止めた。

「どうしてこんなに親切にしてくれるんですか」

「日本では僕もいろいろな人に親切にしてもらったからね。異国ではお互いに助け合いさ」

 ああ、そうなのか。

「マユだろ、ナツミ、カスミ、マリコ……、それにユウカ、ええと……、そうそうアヤネもだ」

 はあ?

「僕が知り合ったニッポンの女性たちはみな優しくて親切だったよ」

 うわ、やっぱりサイテー。

 立ち去りかけていた彼がそばに戻ってきた。

「でも、イタリアでは少し気をつけた方がいいね。ニッポンの女性はみな優しすぎるよ。悪い事を考えている男も多いからね」

「ミケーレさんもですか?」

「ミケーレでいいよ、『さん』はいらない」

「でも……」

「日本人の習慣としては理解できるけど、ここはイタリアだからね。イタリア語にも敬語はあるし、初対面では尊重しあうのは同じだけど、やっぱり敬称をつけて呼ばれると悲しくなるんだよ。せっかく親しくなろうとしているのにね」

 それでも戸惑っている私に、腰をかがめて顔を近づけてくると、ミケーレは私の耳元でそっとささやいた。

「ミケーレって呼んでみてよ」

「ミ、ミケー……レ」

 だめだ、言えない。

 彼は私が照れる様子を眺めて楽しんでいる。

「やっぱり美咲は日本人だね。その表情、懐かしいよ」

 ああ、もう、なによ。

 ほんと、サイテーなんだから。

 ミケーレはソファに座り直して私に言った。

「カプリに着いたら僕の家にご招待するよ」

「あなたはカプリに住んでいるの?」

 いきなり名前の呼び捨ては難しいので、丁寧語を崩すところから試してみた。

「家はいくつもあるからね。イタリア中に。カプリの家はその一つさ」

 お金持ちだから、リゾート地に別荘くらいあるのか。

 ただ、そんなところにご招待されても落ち着かないんじゃないだろうか。

「でも、私、ホテルを予約してあるから」

「どこ?」

「ヴィラ・レッジーナ・マレスカ」

「ああ、とてもいいホテルだね。でも大丈夫。秘書に連絡させるよ」

「でも、キャンセル料がかかるだろうし、ドタキャン……、ええと、直前だと迷惑がかかるんじゃ」

「心配ないよ。あそこのオーナーとは知り合いだから」

 なんだろう。

 もう何を言っても無駄な抵抗のような気がしてきた。

「じゃあ、今晩だけ」

「どうして? いくらでもいてくれていいよ。リゾートに一泊だけなんて、日本人はせっかちだね」

 ミケーレは笑いながら立ち上がると、手配してくるからと言い残してキャビンを出ていった。

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