溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
 船が減速を始める。

 カプリ島だ。

 今頃になって船酔いも落ち着いてきて、私はミケーレと並んでデッキに出た。

 ソラーロ山が今日も輝いている。

 懐かしいふるさとに帰ってきたような気分だ。

 カプリのマリーナ・グランデには大型フェリーが何隻も停泊していた。

「ストライキが終わったんだよ」

 港の前の広場も人であふれている。

 あの閑散とした島がなんだったのかというくらい観光客でごった返している。

 青の洞窟には入れなくても、やはり世界中の人々が訪れる楽園なのだ。

 絵はがきを壁一面に並べたお土産屋さんにはひっきりなしに人が出入りし、島の周囲を巡る遊覧船のチケット売り場には行列ができていて、ふらつく頭を押さえながら歩いていたら彼とはぐれてしまいそうだった。

 広場にはいつもの小さな車がなかった。

「今日は上の街までフニコラーレで行くよ」

「フニコラーレ?」

「ケーブルカーだよ」

 ミケーレの顔を見た係員が改札口の扉を手で開けてくれる。

 チケットはいらないらしい。

「改札機が壊れてるんだよ」

 そうだった。

 ここはイタリアなんだった。

 陽気な観光客で満杯の車両に私たちが乗り込むとすぐに発車して、急な坂をほぼ垂直なイメージで上がっていく。

 あっという間に港の船が小さくなっていく。

 ホテルの屋上プールで肌を焼く人たちや、窓辺であくびをしている猫。

 壁にもたれてタバコを吸っていたおじさんが照れくさそうに手を振ってくれる。

 ちょっと息苦しいけど、どんどん展開していくガラス越しの風景から目が離せなかった。

 上の街に着いて外に出たところで事情が飲み込めた。

 港から上がってくる細い道が大渋滞しているのだ。

「観光客が多いといつもこうなんだよ」

 ミケーレと車で上がった時ですら、行き違うのに苦労していたのに、バスやタクシーが多くなると、もうどうしようもなくなってしまうらしい。

 坂の下の方のあちこちでクラクションが鳴り響いている。

 小さなホテルの一階部分に作られた駐車場に、いつものイタリアの小型車が置いてあった。

「ここからだと、まだましなんだよ」

 彼の言葉通り、狭い街を抜けると、ソラーロ山を巡ってアナカプリへと登っていく道路はいつも通り快適なドライブだった。

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