溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
 あいかわらず眼下の地中海は青く、空は広い。

 でも、同じ風景を見ても心は弾まない。

 左側の運転席にいるミケーレを見ることができなくて、私は退屈な景色を眺めているふりをしていた。

 アナカプリの街まで来たところで、いつもの見慣れた松並木の小道に入らずに、彼は西の灯台へと続く坂道を下り始めた。

「パオラに別の家の手配を頼んだんだ」

「別の家? お母さんに知られないように?」

「ああ。それなら美咲も安心してここにいられるだろう」

 どうだろうか。

 エマヌエラさんに分からないことなんてあるんだろうか。

 あの人は南イタリアのすべてをその手の中に握っているような人だ。

 ばれるのも時間の問題だろう。

 でも、少しでも長くいられるのなら、そうした方がいいだろう。

 車は坂の途中で赤松の林へと入っていき、山の斜面に沿って坂を少し上がって海の見える開けた丘の上に出た。

 白い壁の小さな家がある。

 車が止まると中からパオラさんが出てきた。

「チャオ、ミサキ。あらあら顔色が悪いわね」

「船に酔ったみたいで」

「波が高かったのね。中で休むといいわよ」

 家の中も白い壁で、窓枠は青く塗られていた。

 床も青と白の市松模様のタイル張りで、開いた窓からは涼しい風が入ってくる。

 正面は広い地中海だ。

 ミケーレが背中から私を抱きしめた。

「美咲、すまない。僕はこれからすぐに仕事でナポリに飛ばなければなければならないんだ。僕がここにいることを母に知られたくないからね」

「ありがとう、ミケーレ。いつも私のために、何から何まで用意してくれて」

「いいんだよ。それよりも本当にすまないね。ずっと君と一緒にいたいのに、そういうわけにもいかなくて。分かってくれよ。時間がほしい。必ず解決できるはずさ。愛しているよ、美咲」

「ええ、大丈夫。分かっているから。ティ・アーモ、ミケーレ」

 私はパオラさんの見ている前で彼に口づけた。

 人前でも自分の気持ちを素直に伝え合う。

 イタリアのやり方に自分から慣れる必要がある。

 私にできることはそれくらいのことしかない。

「すまない。行かなくちゃ」

 彼はもう一度私と頬を触れあわせてから外に出ていった。

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