溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
 秋が過ぎ、クリスマス・シーズンを迎えたカプリ島は街にイルミネーションがきらめき、夏とは違った華やかな雰囲気に彩られていた。

 しかし、島はまた賑わいを失っていた。

 フェリー会社が経営不振で運行を停止し、さらに給料未払いに抗議する従業員のストライキも重なって、チャーター船以外の人の往来が全くなくなってしまったのだ。

 お店からは目に見えて生活物資もなくなってきて、とても安心していられないような状況なのに、パオラさんは落ち着いたものだった。

「まあ、これもイタリアなのよ」

 冬のカプリは気温はそれなりに下がるけど、上着を着ていれば冷えこまない程度で、過ごしやすいのだけはありがたかった。

 体調はだいぶ安定してきていた。

 つわりは続いていたけど、朝起きた時に吐いてしまえば、昼間は特に悩まされることはなかった。

 食事も普通で、バナナが食べられなくなった以外は、何も問題はなかった。

 ただ、唾液が止まらない症状は続いていて、それだけは不快だった。

 眠って起きると、必ず枕が唾液でぐっしょりと濡れていた。

 いくらタオルを巻いておいても追いつかない量だった。

 パオラさんはそういう症状は初めて見るらしく、不思議がっていた。

「まあでも、つわりが全くない人もいるし、腰が痛くなったり、足がむくんだり、人によって症状はいろいろだからねえ。私なんか、血糖値で医者に怒られてたわよ。今の方が太ってても全然問題ないのにね」

 確かにそういう意味では私の場合はまだ軽い方なのだろう。

 時は過ぎていく。

 お腹の子は着実に大きくなっていた。

 ジュゼッペさんの話では、大里選手はワールドカップ予選の試合で右脚の裏に張りを訴えてイタリアに戻ってからも何試合か欠場しているそうだ。

 アマンダに聞いてみると、怪我はたいしたことはなく、年明けには復帰できるとのことだった。

 動画で脅迫してくる人の怪我を心配している自分はお人好しなのかもしれなかった。

 あいかわらず、彼の方からは特に何も言ってこないし、なるようにしかならないと、私は覚悟を決めていた。

 もうすでに後戻りのできないところまで来ているのだ。

 そして、年が明けて大里選手がチームに復帰した頃、もう一つの問題が動き出した。

 黒塗りの車が三台狭い坂道を上がってきて、家の前で止まった。

 エマヌエラさんだった。

 かたわらにはアマンダも控えている。

「お邪魔しますよ」

 私が招き入れる前に、お母さんは勝手に中に入ってきて、部屋を見回しながら笑みを浮かべていた。

「パオラもよけいなことをしてくれたものですね」

「おばさんは悪くありません」

「まあ、女同士、分からないでもありませんけどもね」

 アマンダは淡々と通訳としての役割を果たしていた。


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