溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
 日本に帰るべきだろうか。

 イタリア人がイタリアの法律で攻めてくるのなら、日本人は日本の法律で守るしかない。

 私からこの子を引き裂こうというのなら、もうミケーレとの関係は終わりだろう。

 財産が欲しいわけでも、形式にこだわっているわけでもない。

 でも、やっぱり無理だったんだ。

 こうなった責任を彼だけに押しつけるつもりはない。

 彼に、一緒に『駆け落ち』してくれと言えない隠し事を作ってしまった私もいけないんだ。

 ただ、日本に帰るのは簡単なことではなかった。

 飛行機のチケットを取らなければならない。

 ミケーレに頼ることはできないどころか、エマヌエラさんにも知られてしまうことになるから、自分で手配しなければならない。

 そもそもカプリ島から出る手段すらないのだ。

 フェリー会社の混乱がいつ収まるのかは全くめどがたっていなかった。

 バスでマリーナ・グランデへ行って港の人に聞いてみても、みな同じことを繰り返すばかりだった。

「パツィエンツァ」

 忍耐。

 ふだん我慢なんかしないくせに、イタリア人ってどうなってるんだろう。

 ただの面倒くさがりなのかな。

 自分ではどうにもならないことには抵抗しない。

 それがここの生き方なのは仕方がない。

 でも、私はそうしているわけにはいかないのだ。

 イタリア人のまねをしている場合ではない。

 とは言っても、島から出ることすらできない状態では、できることなど何もなかった。

 群青の海に囲まれた楽園がいつしかただの監獄になってしまっていた。

 そしてまた一週間後、檻に閉じこめられた私に、もう一つの手が伸びてきた。

 大里健介から連絡が入ったのだ。

「これはどういうことかしらね」

 昼過ぎにパオラさんが、アマンダを通じて届いたメールを、私に見せにきてくれた。

 その連絡は不可解なものだった。

「取引をしよう。ソレントで待つ」

 取引といっても、むこうが動画を押さえている以上、こちらから要求できることなど何もない。

 むこうが一方的に要求を突きつければいいだけのことだ。

 お腹の子が彼の子かもしれないと言えば、動画消去の取引ができるだろうか。

 でも、そういう時のために押さえてある物を彼が手放すはずはない。

 いったい私に何を求めるというのだろうか。

 私は何も持っていない女だ。

 いまさら彼に差し出せる物など何もない。

 最初から取引など成立しないことは明らかだった。

 でも、彼は取引を求めてきた。

 その内容は分からなくても、行ってみるしかなかった。

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