溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
「でも、ソレントまで行く交通手段がないですよね」

 私が困惑していると、パオラさんが人差し指を立てた。

「あるわよ」

「フェリーが動いてるんですか?」

「船ならあるわよ。さあ、パスポートも忘れずにね」

 パスポート?

「島を出たらそのまま日本に帰るつもりなんでしょう?」

「分かってたんですか?」

「女だもの。母親の考えることは同じよね」

 パオラさんは私を抱きしめてくれた。

「無事に生まれたら連絡ちょうだいね」

「はい」

 おばさんはスマホを取り出して電話をかけた。

 イタリア語で何かまくしたてている。

 だんだん声が大きくなっていく。

 どうも相手が渋っているらしい。

 しまいにはケンカを始めてしまったようだ。

「ほんと、しょうがないねえ」

 電話を切ったパオラさんが腰に手を当ててため息をついた。

「さあ、行きますよ」

 荷物をまとめていつもの小さな車に乗って向かったのは、青の洞窟に入るゴンドラが並んだ桟橋だった。

 小型の漁船が待ち構えている。

 漁船の上で私に手を差しだしたのはジュゼッペさんだった。

「やあ、シニョリーナ。いらっしゃい」

「ジュゼッペさんが操縦するんですか」

「心配いらないよ。今でも仲間の手伝いで漁に出ることはあるから。ソレントなんてうちの庭先みたいなもんだよ」

 パオラおばさんに手を振ると、おじさんはすぐに船を出航させた。

 空は青いけど、風があって波が高い。

 私はすぐに気持ち悪くなってしまった。

 船の外に顔を出して吐きながら私はおじさんにたずねた。

「ミケーレに怒られませんか?」

「かまわんよ」

 でも、と言いかけた私にジュゼッペさんが微笑む。

「言っただろう、シニョリーナ。イタリアの男は世界中の女を愛してるんだって」

 本当に、イタリアの男ってどうなってるんだろうか。

「二番目がうちのかみさんだ」

 おじさんは真顔だ。

 ごめんなさい。

 笑う余裕がありません。

 私はまた船の舷側に顔を出して吐いた。

 ソレントはおじさんの言う通り目と鼻の先で、吐き気がおさまる前に到着した。

 ふらつく私を岸に上げてくれたおじさんがぽつりと言った。

「お腹の子供を大事にな。神様からの授かり物だ」

「ありがとう、ジュゼッペさん」

「ああ、アリガト。元気でな」

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