溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
 前後の車から出てきた黒服の人たちがドアを開けてくれる。

「ボンジョルノ、シニョリーナ」

「グラツィエ」

 男の人たちは周囲の監視をおこたらないようにしながら遠巻きに私たちについてくる。

 他にも耳に何かをはめた私服の女性も何人かいるようだ。

 観光客が何事かと注目している。

 映画スターか何かと勘違いしてスマホで写真を撮る人たちもいる。

 ああ、有名人ってこんな感じなのか。

 これじゃあ、どこに行っても落ち着かないだろうな。

 ただの日本の庶民ですみません。

 海と街を隔てるアーチをくぐる。

 壁には昔の海図を描いたモザイク画がはめこまれている。

「かつての海洋国家としての姿を今に伝える遺物だよ」

 アーチをくぐったところは広場だった。

 お土産物屋さんやピッツェリアの並ぶ広場を見下ろすように、ヘリコプターから見た大聖堂がそびえている。

 ミケーレがまず最初に入ったのは広場の片隅にあるオーダーメイドのドレススタジオだった。

「チャオ、用意できてるかな」

「もちろんですよ、ミケーレ。シニョリーナ、どうぞこちらへ」

 お店のおばさんに招き入れられたところは全面ガラス張りの小部屋で、さっそく出された服に着替える。

 半透明な生地で百合をモチーフにしたノースリーブワンピース。

 まるでルネ・ラリックのガラス細工のように繊細な生地だった。

「ああ、とても似合いますよ。ミケーレのイメージ通りですね」

 細かなサイズを調整して、いったんそれを脱ぐ。

 次に出てきたのは茶系の透ける素材を何枚か重ねて縫い合わされたシックな夜会服だった。

 アールヌーボー調の柄が浮き上がっていて、エミール・ガレのランプシェードに似たイメージだった。

「とてもエレガントでお似合いですよ」

 地球の反対側から来た庶民なんですけど。

 こちらも細かなサイズを調整している間に、さっきのワンピースが直されて戻ってきた。

 ずいぶん手際のいいスタッフさんだ。

 あらためてワンピースに着替えると、帽子とサンダルも別の物が用意されて、昼用のコーディネートが整った。

「ワオ、すばらしいね」

 スタジオを出た私をミケーレが両手を広げて出迎えた。

 着たことのない服を着せられて、どう着こなして良いのかまるで分からない。

 ミケーレはそんな私の戸惑いに気づいていないのか、街の路地をどんどん奥へと歩いていく。


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