溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
「美咲」

 彼が私の名を呼ぶ。

「心配ないよ。気持ちを伝えるために言葉があるわけじゃないからね。むしろ、言葉が不完全だからこそ、お互いの気持ちを伝え合うために、昨夜僕らは愛を確かめ合ったんじゃないか」

 ミケーレは哀しそうに私の耳たぶに口づけた。

「まだ信じられないのかい?」

「違うの」

 彼が肩をすくめる。

「また『違う』だね。一つも当たらないな。どうやら僕は恋愛の落第生らしい。イタリア男失格だな」

「違うの。そうじゃないの」

 頬にあたたかなものが流れていく。

 彼がそれをぬぐってくれる。

「あなたを失いたくないの。あなたの愛を知ってしまったから」

 体が震え出す。

「私はあなたを愛してしまったから。あなたがかけがえのない人だから」

 言葉をさえぎるように、私はきつく抱きしめられていた。

「全然違わないじゃないか」

 ミケーレのぬくもりが私を包み込む。

「美咲、君も僕のかけがえのない存在だよ。僕の世界に君がいなくなったら、僕もいなくなるよ」

 涙が止まらない。

「でも大丈夫。僕は君のそばにいる。君も僕のそばにいてくれ」

 抱きしめられたまま私はうなずいた。

「僕らの気持ちは同じじゃないか。気持ちは一つ。僕らのいるこの世界も一つ。愛し合う僕らも一つになったようにね」

 彼の言葉に思わず体が熱くなる。

 と、そのとき、彼のお腹が鳴った。

 思わず笑ってしまった。

「ようやく笑ってくれたね。そろそろラヴェッロに戻ろうか。昼食の用意もできた頃だろうから」

 手をつなぎあって二人並んで歩く。

 たとえそれが迷宮であったとしても、二人でさまよい歩けるのを喜べばいい。

 路地の角を曲がると思いがけない表情を見せるこのアマルフィの街のように。

 彼を信じてその風景を味わえばいいのだ。

 彼がそばにいてくれる限り、そこがこの世の楽園なのだから。

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