溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
 そうしているうちに、豚バラ肉の塊を焼いた料理が出てきた。

 炭で焼いたのか脂がとても味わい深い。

 ソースがフルーティでとても合うけど、何を使ってるのだろうか。

 私がミケーレにたずねると、彼がそばに控えていた給仕さんを呼んだ。

「イチジクと赤ワインのソースだってさ」

「そうなの。初めて食べる味ね」

 ミケーレが微笑む。

「これからも知らないことがたくさん出てくるさ。二人で一緒に楽しんでいこうよ」

 彼は一生懸命私のことを考えてくれている。

 やっていけるかもしれない。

 それに、その期待に応えるために努力することだってできるはずだ。

 なんでも二人でやっていけばいい。

 そのためのパートナーなのだから。

 目の前には複雑に入り組んだアマルフィ海岸の風景が広がり、私たちはそれを二人で堪能しながら料理を味わっていた。

「ミケーレ」

 背後で彼を呼ぶ声がした。

 振り向いた彼は驚いた様子で立ち上がった。

「母さん。どうしてここに?」

 そこには細身の黒いドレスに身を包んだ女性が立っていた。

 ミケーレのお母さんらしい。

 彼の歳から考えると、六十歳くらいなのだろうけど、肌には張りがあり、髪も白髪はなく、染めているとしてもつやがいい。

 何よりも声が良く通る。

 常に人に指示を出しながら生きてきた人の声だ。

 私も立ち上がろうとすると、彼女が手で私を制しながらミケーレと話を続けた。

「それはわたくしの方が尋ねたいことです。ここのところ仕事をキャンセルしているというので具合でも悪いのかと心配してきてみたのですよ。こんなところで何をしているのです」

 私にも分かるようにするためなのか、ややゆっくりめの英語で話している。

「具合は悪くないよ。別の用ができたから予定を変えただけさ」

「そのようですね」と冷ややかな目で私を見下ろす。

「紹介するよ。日本から来たカグラミサキさんだよ。ミサキ、僕の母親だ」

 挨拶をしようとする私をまた手で制する。

「ようこそ。エマヌエラ・ディ・トリコンテ・ドナリエロです」

 ずいぶん長い名前だ。

「あなた、ご職業は? 今までのようなモデルでも女優でもないみたいだけど」

 私を上から下まで眺め回す。

「私は……オフィス・ワーカー、エンプロイ」

 本当は今は無職だけど、雇われている会社員というつもりで言ってみた。

 通じたかどうかは分からない。

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