溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
 いつでもそうなのだ。

 子供の頃に母親から怒られている時もそうだった。

 言い訳をしようものなら、『口答えするな』と怒鳴られた。

 私はいつしか反論することのできない人間になっていたのだ。

 学校や会社では従順さは真面目さと受け止められ、かえって評価されることが多かった。

『君はいい子だね』

『美咲はいい人だよね』

 でも、そういったことが積もり重なって、私はいつしか息ができないくらいに追い詰められていたのだ。

 そして逃げ出してきたこのイタリアでも、また同じことをしている。

 気づかないうちに私は拳を握りしめていた。

 英語なんて考えている余裕はなかった。

 私は立ち上がって日本語でしゃべった。

「お母さん、確かに私はお金持ちじゃないし、仕事も辞めた人間です。でも、ミケーレを愛する気持ちは世界中の誰よりも本物なんです。財産目当てなんかじゃありません。それだけは分かってください」

 日本語で言ったところで通じないのは分かっている。

 でも、だからこそ言えたのかもしれない。

 それに対するエマヌエラさんの返事は英語だった。

「イタリア語もしゃべれない人を家族に迎え入れるわけにはいきません。おわかりでしょう?」

 お母さんは人差し指を立てた。

 黒服の人が二人やって来た。

「ミケーレ、あなたは今すぐサレルノへ行きなさい。ミサキさん、あなたは船でお送りしましょう」

 ミケーレは怒った調子でお母さんにイタリア語で何かをいいながら黒服の運転手さんと去っていった。

 私の前にもう一人の黒服の男性が立ちはだかる。

 抵抗する気もないので私はおとなしくここを去ることにした。

「先ほどのうちの息子の見苦しい姿をお詫びいたしますわ。もっとも、どんな口汚いことを言っていたのかはお分かりにならなかったでしょうけども」

 私はお母さんの目を見つめて英語で答えた。

「あとでミケーレに教わります」

 エマヌエラさんはにっこりと笑って一言つぶやいた。

「かわりにイタリア語の教師を紹介しましょう」

「ノー・グラツィエ。アリベデルチ・シニョーラ」

 心臓が破裂するかと思ったけど、言うだけのことは言った。

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