溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
 私は黒服の人に案内されて車に乗り込み、ラヴェッロのホテルを後にした。

 つづら折りの坂を下っていく車の中で私は泣いた。

 運転手さんがときおりミラーでこちらを見ていた。

 でも、そんなことなんか気にせず、私は泣いた。

 思いっきり声を上げて鼻水を垂らしながら泣き続けた。

 持っていたハンカチもすぐにグショグショになったけど、そんなことはどうでも良かった。

 ボタボタとワンピースに涙がしたたり落ちる。

 汚れても濡れてもどうだっていい。

 侮辱されたことではなかった。

 ミケーレと別れさせられたことでもなかった。

 元々釣り合うはずもなかった。

 自分でも分かっていた。

 変な夢を見ようとしていた自分の甘さが許せなかった。

 似合わない、釣り合わない、世界が違いすぎる。

 誰がどう見たって分かりきっていることなのに、それでも甘い夢を追いかけようとしていた自分の愚かさが許せなかったのだ。

 お母さんはただそれをはっきりと忠告してくれただけなのだ。

 今となってはむしろミケーレを恨んでいた。

 私を誘惑して、甘い夢を見させて、結局はこんな目に遭わせた彼がいけないのだ。

 彼にとっては他にいくらでもいる女の一人だったに過ぎないのだ。

 甘い言葉をささやきかけたら尻尾を振ってついてきた馬鹿な日本の女の一人なのだ。

「シニョリーナ、シップ」

 車はいつのまにかアマルフィの桟橋に着いていた。

 釣り人を乗せる漁船くらいの大きさのクルーザーが停泊している。

 私ははれぼったい顔を隠すこともなく船に乗り込んだ。

 キャビンに入ってソファに座ると、エンジンがうなりを上げて船はすぐに動き出した。

 アマルフィの街が遠ざかっていく。

 空には雲が広がっていて、少し波も高いようだった。

 船酔いを避けたくて私はソファの上に横になった。

 乾いた涙で顔がカサカサする。

 私はキャビンの天井を見上げたまま、また泣いていた。

< 66 / 169 >

この作品をシェア

pagetop