溺愛アフロディーテ 地中海の風に抱かれて
 私が黙っていると、大里選手が席を立った。

「今夜の試合、来るんだろ?」

 正直気が進まない。

「行ったらまたトラブルになりますよね」

「俺が招待するんだから、来いよ。賭けの結果を見届ける必要もあるだろ。それなら言い訳にもなるじゃないか。あいつと話すチャンスもあるかもしれないしさ」

「ミケーレと?」

「ああ、別れ話、な」

 また思わず平手打ちをしてしまいそうになるのをじっとこらえた。

「楽しい食事だったよ。ありがとう」

 彼が去った後に、私は一人テラスの椅子に座ったまま海を眺めていた。

 平手打ちをこらえたことを後悔していた。

 怒りの持って行き場がなくて、ずっと心の中で渦を巻いている。

 その渦の中心が沈み込んでいって、私自身も飲み込まれそうだ。

 私は拳を握りしめたまま、じっと耐えていなければならなかった。

 こういうことが嫌で日本を出てきたのに。

 私はどこに行っても同じ事を繰り返している。

 ホテル正面で急に歓声が上がる。

 何事かと思ってテラスから見下ろすと、大里選手が出てきて、エントランスに用意されたドイツ製の車に乗り込むところだった。

 昨日のフェラーリではなく、シルバーのセダンだ。

 スタッフの人が運転するらしく、彼は後部座席に乗っている。

 地元のファンが群がっていて、彼は窓から手を振って声援にこたえている。

 三階から地上を見下ろしていると、高校生の頃を思い出す。

 あのころ私は毎朝、三階の廊下の窓辺に立って、登校してくる生徒の中にサッカー部のキャプテンを探していたのだ。

 姿を見つけたところで何があるわけでもない。

 いつも隣には女の子がいて、楽しそうに話をしていた。

 べつに言い訳するつもりはないのだけど、彼とつきあいたいとか、他の女の子達をうらやましいと思っていたわけではなかった。

 ただ、自分には何かが足りないんだろうか、自分はなぜそういったことができないんだろうかと考えていたことを覚えている。

 結局のところ、私はいつも自分にできないことばかり探しているのかもしれない。

 そして、いざ、自分に出番が回ってくると逃げ出してしまうような人間になってしまったのだろうか。

 憂鬱な時ほど、過去の憂鬱な体験がよみがえる。

 二重、三重に重荷を背負わされて苦しくなってしまう。

 反対に、楽しい時には目の前にあるその瞬間しか見えなくて、重なり合うものはない。

 だから、幸せな思い出は薄っぺらくて、すぐにどこかに消し飛んでしまうのかな。

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