青く薫る
*
*
*
玲の死は、遺書もなく状況から事故と判断された。そのあたりからのことをあたしはよく覚えてない。マスコミはやれ「抗議の自殺」だとか、「プロデューサーと体で交わした契約を反故にされた」なんて、面白おかしく書かれてたような気はするけど、それよりも記憶にあるのは、「あたしたちは、玲の愛した檸檬をシーンのトップにするのが弔いだと思ってます」なんて、誰が言ったかわからないけど反吐が出るようなこの台詞が書かれた記事。
その言葉は檸檬のキャッチフレーズにでもなったかのように日本じゅうを駆け巡り、追い風になってあたしたちのところに戻ってきた。玲の死を枕絡みにしたくないってファンの気持ちも大きくて、SNSでも玲を悼む声が美談を掲げて積み重なる。消化しきれないあたしの気持ちを置き去りにして、どんどん明るい未来に向かって上書きされてく。あたしたちは大事な仲間の命さえ踏み台にしていくんだな、なんてことをあんまり働きたがらない頭でぼんやりと考えたりもしたけど、それが正しいことなのか間違ってるのかなんてことは、考えるだけ無駄だった。
PV撮影が間近に迫って衣装が完成した頃、ようやくレッスン場に薫子が現れた。意外なことに、衣装はあたしたちと全く同じものだった。薫子はこっちに小さく会釈して、居心地悪そうにバーレッスンを始めた。相変わらずカカシみたいで、だけどその長い手足が鼻についた。
「色違いにでもしてくるかと思ってた」
「あたしも、同じこと考えてたよ」
愛が耳打ちしてきた。
「でもあの子にアレ、付けてほしくないな……」
その横で由衣が呟いた。玲が好きだった色、青いワッペンのことだ。左胸で校章のように輝く金糸のワッペンの台座は、元々はグループ名にちなんだ黄色だった。玲のことがあってこうなったけど、それを薫子にも、というのはやっぱり憤るものがある。きっとどこまで行っても彼女のことを許せる気がしない。悪いのは彼女ではなく運営なんだけど。
「はい、衣装で練習するのは今日だけだからね、気合入れてよ!」
不穏な空気を散らすように高梨さんが手を叩いて声を上げた。あたしたちは反射的に最初のポジションにつく。イントロが流れる。初動のために握った拳に力を込め、静かに息を吐く。
12小節目、ユニゾンでの歌い出しで薫子を除く全員が拳を上に高く勢いよく挙げる。そのまま3小節歌ったところで16小節目、ひと塊になったあたしたちを砕いて割くようにして彼女が歌い始める。そういう段取りだ。あたしはいちばん奥にいるから、歌い出すところを見ることになる。
音源に合わせて小さく口ずさみながら、あたしはその瞬間が来るのを伺っていた。心の準備を万端にして。それなのに。
すっ、と、彼女が位置についた途端、空気が変わったのに気がついた。彼女の周りだけ、まるで別の空間みたいに、ひんやりとした、だけどものすごいエネルギーが膨張して、巻き込まれるような、そういう空気。曲も、みんなの声どころか口ずさんでる自分の声さえも、その膨張した空気の外側に行ってしまったみたいで、自分のか彼女のか分からない心臓の音と、彼女の深い息づかいだけが迫ってくる。
彼女に腕を払われるのが道を開ける合図だった。それなのに彼女があたしに手を伸ばして触れる寸前、あたしは崩れて跪いてしまった。電撃を浴びたみたいだった。同時に、息苦しいほどに膨張した空気がはじけて、折り重なった音がスコールのように激しく、鮮やかに降って来た。毎日聴いてる音なのに全然違う音みたいで、多重な音の全部がひとつも逃さず体の奥まで届く感じがした。そのあとは、ただただ彼女の目、彼女の指、彼女のつま先の見えないタクトに操られるみたいに踊り続けた。
オーディションで見た粗削りなダンスから目が離せなかった理由が、わかってしまった。あたしたちとは別のカリキュラムで既存曲を覚えたり、ダンスレッスンを重ねていたというのは知ってる。だけど1か月やそこらであたしたちに簡単に追いつけるわけないと思ってた。なのに彼女は、そのラインなんかとっくに飛び越えて、遥か先まで進んでしまってた。そういう次元の子だったんだと、どうしようもなく今、わかってしまった。
簡単な、俗な言い方をしてしまえばそれはオーラ。でもそんな曖昧な感覚なんかじゃなくて。いっしょに踊ったことで、耳が、肌が、直にそれを受けてしまった。全身の細胞が、痺れていうことを聞いてくれない。すごくすごく悔しいのに、カラダは歓びで震えてる。だって、こんな風に踊ったことなんかなかった。いままで生きてきた中で、いちばん楽しかった。こんなにも歌うこと、踊ることが快感だなんて、あたしは知らなかった。
曲が鳴り終わったあとも、あたしたちは最後の場所で固まったままだった。みんなの息がいつも以上に荒い。胸を、肩を、大きく上下させて、全員がその場にいた。
『会ったら絶対に納得する』……。きっとみんな、同じ快感の中にいるんだ。
認めたくはなかった。だけど、認めるしかなかった。薫子が、紛れもなくあたしたちの王だってことを。
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玲の死は、遺書もなく状況から事故と判断された。そのあたりからのことをあたしはよく覚えてない。マスコミはやれ「抗議の自殺」だとか、「プロデューサーと体で交わした契約を反故にされた」なんて、面白おかしく書かれてたような気はするけど、それよりも記憶にあるのは、「あたしたちは、玲の愛した檸檬をシーンのトップにするのが弔いだと思ってます」なんて、誰が言ったかわからないけど反吐が出るようなこの台詞が書かれた記事。
その言葉は檸檬のキャッチフレーズにでもなったかのように日本じゅうを駆け巡り、追い風になってあたしたちのところに戻ってきた。玲の死を枕絡みにしたくないってファンの気持ちも大きくて、SNSでも玲を悼む声が美談を掲げて積み重なる。消化しきれないあたしの気持ちを置き去りにして、どんどん明るい未来に向かって上書きされてく。あたしたちは大事な仲間の命さえ踏み台にしていくんだな、なんてことをあんまり働きたがらない頭でぼんやりと考えたりもしたけど、それが正しいことなのか間違ってるのかなんてことは、考えるだけ無駄だった。
PV撮影が間近に迫って衣装が完成した頃、ようやくレッスン場に薫子が現れた。意外なことに、衣装はあたしたちと全く同じものだった。薫子はこっちに小さく会釈して、居心地悪そうにバーレッスンを始めた。相変わらずカカシみたいで、だけどその長い手足が鼻についた。
「色違いにでもしてくるかと思ってた」
「あたしも、同じこと考えてたよ」
愛が耳打ちしてきた。
「でもあの子にアレ、付けてほしくないな……」
その横で由衣が呟いた。玲が好きだった色、青いワッペンのことだ。左胸で校章のように輝く金糸のワッペンの台座は、元々はグループ名にちなんだ黄色だった。玲のことがあってこうなったけど、それを薫子にも、というのはやっぱり憤るものがある。きっとどこまで行っても彼女のことを許せる気がしない。悪いのは彼女ではなく運営なんだけど。
「はい、衣装で練習するのは今日だけだからね、気合入れてよ!」
不穏な空気を散らすように高梨さんが手を叩いて声を上げた。あたしたちは反射的に最初のポジションにつく。イントロが流れる。初動のために握った拳に力を込め、静かに息を吐く。
12小節目、ユニゾンでの歌い出しで薫子を除く全員が拳を上に高く勢いよく挙げる。そのまま3小節歌ったところで16小節目、ひと塊になったあたしたちを砕いて割くようにして彼女が歌い始める。そういう段取りだ。あたしはいちばん奥にいるから、歌い出すところを見ることになる。
音源に合わせて小さく口ずさみながら、あたしはその瞬間が来るのを伺っていた。心の準備を万端にして。それなのに。
すっ、と、彼女が位置についた途端、空気が変わったのに気がついた。彼女の周りだけ、まるで別の空間みたいに、ひんやりとした、だけどものすごいエネルギーが膨張して、巻き込まれるような、そういう空気。曲も、みんなの声どころか口ずさんでる自分の声さえも、その膨張した空気の外側に行ってしまったみたいで、自分のか彼女のか分からない心臓の音と、彼女の深い息づかいだけが迫ってくる。
彼女に腕を払われるのが道を開ける合図だった。それなのに彼女があたしに手を伸ばして触れる寸前、あたしは崩れて跪いてしまった。電撃を浴びたみたいだった。同時に、息苦しいほどに膨張した空気がはじけて、折り重なった音がスコールのように激しく、鮮やかに降って来た。毎日聴いてる音なのに全然違う音みたいで、多重な音の全部がひとつも逃さず体の奥まで届く感じがした。そのあとは、ただただ彼女の目、彼女の指、彼女のつま先の見えないタクトに操られるみたいに踊り続けた。
オーディションで見た粗削りなダンスから目が離せなかった理由が、わかってしまった。あたしたちとは別のカリキュラムで既存曲を覚えたり、ダンスレッスンを重ねていたというのは知ってる。だけど1か月やそこらであたしたちに簡単に追いつけるわけないと思ってた。なのに彼女は、そのラインなんかとっくに飛び越えて、遥か先まで進んでしまってた。そういう次元の子だったんだと、どうしようもなく今、わかってしまった。
簡単な、俗な言い方をしてしまえばそれはオーラ。でもそんな曖昧な感覚なんかじゃなくて。いっしょに踊ったことで、耳が、肌が、直にそれを受けてしまった。全身の細胞が、痺れていうことを聞いてくれない。すごくすごく悔しいのに、カラダは歓びで震えてる。だって、こんな風に踊ったことなんかなかった。いままで生きてきた中で、いちばん楽しかった。こんなにも歌うこと、踊ることが快感だなんて、あたしは知らなかった。
曲が鳴り終わったあとも、あたしたちは最後の場所で固まったままだった。みんなの息がいつも以上に荒い。胸を、肩を、大きく上下させて、全員がその場にいた。
『会ったら絶対に納得する』……。きっとみんな、同じ快感の中にいるんだ。
認めたくはなかった。だけど、認めるしかなかった。薫子が、紛れもなくあたしたちの王だってことを。