バッドジンクス×シュガーラバー
「──小糸。ちょっと」



定時の18時を10分ほど過ぎた頃。

デスクで帰り支度をしていた私の頭上から、名指しで低い声が降ってきた。

声と同時にトン、とデスクにつかれた右手は、大きくてゴツゴツしている男の人のもの。

一瞬肩を震わせてから、その伸ばされた腕をたどるように、おそるおそる視線を上げていく。



「久浦部長……」

「今日の業務は終わったな? ちょっと来い」



大きな手をたどった先に見えたのは、声から予想していた通り、久浦部長の姿だ。

蛍光灯を背に私を見下ろす部長は、昼間廊下で言葉を交わしたときと同じ仏頂面。

だけどこちらが低い位置から見上げていることもあってその顔は影を背負い、力強い眼差しが生み出す圧力に拍車がかかっている。

こくりと、思わず唾を飲み込んだ。



「え、えっと、どちらに」

「もたもたするな。来ればわかる」



ぞんざいに言い放った久浦部長に向かって、一連のやり取りを見ていた勇者……もといえみりさんが「はーい」と軽く片手を挙げる。



「部長、小糸さんはもう退社の予定だったんですけど?」

「手短に済ませるし、残業もつけろ。いいからついて来い」



言うが早いか久浦部長は踵を返し、さっさと歩き出してしまった。

助けを求める意味で思わずえみりさんを振り返ると、仕方ないとばかりに肩をすくめてみせる。

口パクだけで「いってらっしゃい」とまで言われてしまえば、もう、私が取れる道はひとつしか残されていないだろう。



「まっ、待ってくださいっ」



ひとつ、ため息をついた後。

ようやく定時退社を諦めた私は、慌てて久浦部長の広い背中を追いかけたのだった。
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