俺様御曹司はウブな花嫁を逃がさない
やがて、陽の中に培われた経験と膨大な知識により、少しずつ長谷川の中で漠然としていたイメージが固まっていき、着物の生地を使ったウェディングドレスを製作するという方向で決まった。
そうして、長谷川を見送り三階にあるオフィスへとふたりが戻ろうと廊下を歩いていたところで、執務室から出できた博人と鉢合わせた。
「やぁ、お疲れさま。橘さん、今日も可愛い髪型してるね」
「可愛いっ? あ、ありがとうございます」
男性から可愛いと言われることが滅多にない紬花が思わず頬を朱色に染めると、陽が苛立ちを帯びた口調で「お世辞だ。真に受けるな」と咎めた。
「そんなことはないさ。しかし、陽は相変わらず冷たい物言いだな。橘さんも、仕事だけでなく生活までアシストするのに、これでは大変だろう。何か嫌なことされて困ったりしていないかい?」
「いえ、特に……」
ないと答えようとして、キスのことを思い出してしまい紬花はさらに頬を赤く染めてしまう。
「おや……これは、意外な反応だな。何があったのか聞いてもいいか?」
興味深げというよりも面白がっているといった方が近い顔で博人に問われ、少し混乱していた紬花が「い、いえっ、あれは多分私の夢なので」と頭を振った。
「夢? なんのだい?」
「なんのって、御子柴さんとお風呂で」
「それは夢だ! 全部、間違いなく夢だ! だから兄さんは気にせず会議に行ってくれ」
博人は”兄さん”と呼ばれたことに、陽が動揺していることを悟る。
何故なら、陽は普段、会社では博人を社長と呼ぶのだ。
公私混同はしないよう心掛けている陽が、紬花が関わるとペースを崩される。
その様子を目の当たりにし、博人は、ああ、これは使えるなと細く笑んだ。
「橘、行くぞ」
「えっ、あ、はい。あの、失礼します」
紬花がお辞儀をすると、特に引き止めることなく博人はエレベーターへと向かう。
しかし、その口元は、会議室へ入室してもなお、楽し気に歪んでいた。