俺様御曹司はウブな花嫁を逃がさない
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(夢なわけあるか)
自宅のアトリエで、着物の生地サンプルを眺めながら、陽はひとり悪態をついた。
ステンドグラスの外はすっかりと夜のカーテンが下ろされて、濃紺の空に浮かぶ三日月が、都会を彩る星々を見下ろしている。
デスクの隅に置かれたデジタル時計は、あと十分ほどで日付が変更する時刻を示しており、陽は蓄積した疲れを逃すように息を吐いた。
(橘は……もう寝たか?)
昼間、夢だと勘違いして危うく兄にキスしたことをバラされそうになったことを思い出し、指でこめかみを押さえた。
確かに、何事もなかったように振る舞っている自覚が陽にはある。
仕事場でも家でも気まずくならないように配慮したのだ。
今までと変わらぬ態度でいることで、職場の従業員たちも何かあったなど気付かないだろうという考えもあった。
しかし、まさかその態度が仇となり、夢だと勘違いされるなど、さすがに予想もしていなかった。
そもそも、強引にキスなどしてしまい、すぐに謝るべきなのは承知しているのだが、最初のタイミングを逃して『手伝いは、もういい』などと言って追い出してしまったために、こんなことになってしまっているのだ。
(さすがに夢だと思われているのは……堪えるな)
夢だったと片づけられる程度の存在なのかと考えると、ひどく気持ちが凹み思わず自嘲する。
(結局、あの頃からずっと意識して焦がれているのは俺だけか)
女々しさに自分で嫌気が差して、気分を変えようと陽は席を立った。