求愛一夜~次期社長とふたり暮らししています~

人前で泣いたのは記憶にない。だから嗚咽交じりの声で訴える。

「上原課長っ……そんなこと言われたら……泣くっ……」

「ごめん」

「冗談……です。謝らないでくださいっ……」

ずずっと鼻をすすると、上原課長がタオルの裾で鼻をポンポンと叩いてくれた。
まるで凜ちゃんにするような仕草だ。

彼も同じことを思ったのか、ぷっと同時に吹き出してひとしきり笑い合った。


幼い頃、早く大人になりたかった。
大人になったらハリボテじゃない、本物の怖いもの知らずになれる気がした。

でも、それは無理だった。
大人になっても無敵になんてなれない。
それどころか、純粋だった子供の頃より怖いものが増えた。

大切なもの。大切な人。仕事。恋。家族。友人。挙げたらきりがない。

そのどれもを失くしたくない。そう願う度に不安に襲われる。

それは悪いことじゃない気がした。
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