政略結婚は純愛のように~狼社長は新妻を一途に愛しすぎている~
隆之の策
由梨を妻にしたい。
隆之が明確にそう思ったのは、今井コンツェルンの会長に呼び出されて北部支社の新社長の人事を聞きに、東京へ出向いた時だった。
「先代も北部支社をよく盛り立ててくれていたが、君になってからも好調だな。」
隆之の父よりも歳上のはずの今井コンツェルン会長今井幸仁は存外に若々しい声で言った。
東京赤坂のど真ん中の料亭は外の喧騒が嘘のように静かだ。
人工的な日本庭園の滝の音だけがちょろちょろと聞こえている。
「ありがとうございます。」
隆之は真っ直ぐに相手を見つめて答えた。
今井コンツェルンの会長は一年前に先代から先代の長男である幸仁に代替わりした。
先代はどちらかといえば身内びいきで知られていたが、今度の男はどうだろう。
隣に息子の和也を従えているところを見ると同じようなものかと隆之は推測しながら話の続きを待つ。
別に身内びいきを否定するつもりはない。
隆之とて世襲で今の地位を手に入れたのだから。
七年前に突然父が脳梗塞で倒れた。
命こそ助かったものの、手足の自由は効かなくなり寝たきりの状態になった。
当然、北部支社の副社長を務めることはできなくなり、当時東京の大学を出てそのまま都内の商社に勤めていた隆之が急遽呼び戻されたのである。
けれど隆之は、そこからは自分の力ですべてを乗り越えてきた。
そうでなければ、いくら加賀家の者とて生き残れるほど甘い世界ではない。
世襲だろうがなんだろうが上に立つものにそれに見合う実力があればそれでいいのだ。
隆之は目の前の男をじっと見る。
またやる気のないボンクラのお守りをさせるつもりだろうかと。
今井幸仁はそんな隆之の心を読んだようにニヤリと笑った。
「安心しろ、もうこちらからは誰も送らん。」
父親の言葉に、隣で会談の内容には興味なさそうに酒を飲んでいた息子の今井和也が慌てて口を挟む。
「と、父さん!待って下さい。じゃあ北部支社はどうするんですか。」
「会長と呼べ、和也。…ここにいる加賀くんに任せればいい。もともと彼が実質的には経営者なのだ、正式に社長となれば社員の士気も上がろう。」
今井幸仁は涼しい顔で言い放つ。
一方で隣の和也は納得がいかないらしく真っ赤な顔で反論した。
「納得できません!支社長は、今井家の者がなるという決まりはどうなりますか?コンツェルン内に混乱が起きます。これまで通り今井の者が行くべきです。」
幸仁がジロリと彼を睨む。
「それでお前が行きたいと?北部支社は付け焼き刃の知識で利益を出せるほど生易しくはないぞ。」
「ですが…!!」
「今日お前をここに同席させたのは、それを諦めさせるためだ。北部支社は加賀君に任せる、これは決定だ。」
これには流石に隆之も驚いた。
今井幸仁という男は先代とは違い合理的で実力本位な考え方の持ち主らしい。
伝統を覆すことで起きると予想される混乱はどちらかというと今井家の方が大きく影響しそうだが、それも抑え込む自信もあるようだ。
どちらにせよ、隆之にとっては良い方向に流れが変わった。
少なくとも何もしない社長とそれに反発を覚える社員の調整という荷は肩から下りた。
それにしても。
隆之は顔を真っ赤にしている息子の和也を見る。
何ゆえこの男は北部支社へ来たがっているのだろう。
隆之と同じくらい若いはずなのに、お飾りの社長として楽をしたいのだろうか。
「…じゃあ、由梨を呼び戻して下さい。」
北部支社の社長の件は言っても無駄だと思ったのかそれ以上の反論はせずに、和也は憮然として言った。
隆之の胸がコツンと鳴った。
なぜ今、由梨の名前が出るのか。
いや、由梨は今井家の人間なのだから名前が出てもおかしくはないと思えなくもないのだが。
それにしても新社長の人事とどう関係があるのだと隆之は平静を装いながら今井幸仁を見た。
「…だめだ。」
幸仁は苦い顔で息子から目をそらした。
「なぜですか?!そもそも私は由梨が帰ってくるなら北部支社へ行きたいなど言いません。…母さんが反対しているからですか!?」
和也は父を睨む。
もはや第三者である隆之がいることは忘れてしまったかのようだ。
取り乱す和也を見ながら、隆之はムカムカとした気持ちの悪い感情が湧きだすのを感じた。
この男は由梨の何だ。
関係からいうと従兄弟であることは間違いないが、由梨を呼び戻せと喚き、そうでなければ自分が行きたいと無理を言う…。
考えたくはないが、由梨の…?
「失礼。」
隆之は思わず口を挟む。
幸仁は苦い顔のまま、隆之を見た。
「その、由梨…さんというのは、我が社の…今井由梨さんのことですか。」
和也も隆之を見る。
そして他人がいるこの場でこれ以上言い合いをするのは得策ではないと思ったのか、立ち上がった。
「…北部支社の人事が決まったのなら私はここにいる必要はありません。先に失礼させていただきます。」
そう言って、投げやりに頭を下げてさっさと出て行った。
残された隆之はやや唖然として彼が去った方を見た。
彼が後ろ手にしめた障子がパチンと鳴った。
無礼な振る舞いにはべつに腹は立たないが、由梨との関係はハッキリとさせて行けと心の中で悪態をつきながら幸仁に視線を移した。
隆之が明確にそう思ったのは、今井コンツェルンの会長に呼び出されて北部支社の新社長の人事を聞きに、東京へ出向いた時だった。
「先代も北部支社をよく盛り立ててくれていたが、君になってからも好調だな。」
隆之の父よりも歳上のはずの今井コンツェルン会長今井幸仁は存外に若々しい声で言った。
東京赤坂のど真ん中の料亭は外の喧騒が嘘のように静かだ。
人工的な日本庭園の滝の音だけがちょろちょろと聞こえている。
「ありがとうございます。」
隆之は真っ直ぐに相手を見つめて答えた。
今井コンツェルンの会長は一年前に先代から先代の長男である幸仁に代替わりした。
先代はどちらかといえば身内びいきで知られていたが、今度の男はどうだろう。
隣に息子の和也を従えているところを見ると同じようなものかと隆之は推測しながら話の続きを待つ。
別に身内びいきを否定するつもりはない。
隆之とて世襲で今の地位を手に入れたのだから。
七年前に突然父が脳梗塞で倒れた。
命こそ助かったものの、手足の自由は効かなくなり寝たきりの状態になった。
当然、北部支社の副社長を務めることはできなくなり、当時東京の大学を出てそのまま都内の商社に勤めていた隆之が急遽呼び戻されたのである。
けれど隆之は、そこからは自分の力ですべてを乗り越えてきた。
そうでなければ、いくら加賀家の者とて生き残れるほど甘い世界ではない。
世襲だろうがなんだろうが上に立つものにそれに見合う実力があればそれでいいのだ。
隆之は目の前の男をじっと見る。
またやる気のないボンクラのお守りをさせるつもりだろうかと。
今井幸仁はそんな隆之の心を読んだようにニヤリと笑った。
「安心しろ、もうこちらからは誰も送らん。」
父親の言葉に、隣で会談の内容には興味なさそうに酒を飲んでいた息子の今井和也が慌てて口を挟む。
「と、父さん!待って下さい。じゃあ北部支社はどうするんですか。」
「会長と呼べ、和也。…ここにいる加賀くんに任せればいい。もともと彼が実質的には経営者なのだ、正式に社長となれば社員の士気も上がろう。」
今井幸仁は涼しい顔で言い放つ。
一方で隣の和也は納得がいかないらしく真っ赤な顔で反論した。
「納得できません!支社長は、今井家の者がなるという決まりはどうなりますか?コンツェルン内に混乱が起きます。これまで通り今井の者が行くべきです。」
幸仁がジロリと彼を睨む。
「それでお前が行きたいと?北部支社は付け焼き刃の知識で利益を出せるほど生易しくはないぞ。」
「ですが…!!」
「今日お前をここに同席させたのは、それを諦めさせるためだ。北部支社は加賀君に任せる、これは決定だ。」
これには流石に隆之も驚いた。
今井幸仁という男は先代とは違い合理的で実力本位な考え方の持ち主らしい。
伝統を覆すことで起きると予想される混乱はどちらかというと今井家の方が大きく影響しそうだが、それも抑え込む自信もあるようだ。
どちらにせよ、隆之にとっては良い方向に流れが変わった。
少なくとも何もしない社長とそれに反発を覚える社員の調整という荷は肩から下りた。
それにしても。
隆之は顔を真っ赤にしている息子の和也を見る。
何ゆえこの男は北部支社へ来たがっているのだろう。
隆之と同じくらい若いはずなのに、お飾りの社長として楽をしたいのだろうか。
「…じゃあ、由梨を呼び戻して下さい。」
北部支社の社長の件は言っても無駄だと思ったのかそれ以上の反論はせずに、和也は憮然として言った。
隆之の胸がコツンと鳴った。
なぜ今、由梨の名前が出るのか。
いや、由梨は今井家の人間なのだから名前が出てもおかしくはないと思えなくもないのだが。
それにしても新社長の人事とどう関係があるのだと隆之は平静を装いながら今井幸仁を見た。
「…だめだ。」
幸仁は苦い顔で息子から目をそらした。
「なぜですか?!そもそも私は由梨が帰ってくるなら北部支社へ行きたいなど言いません。…母さんが反対しているからですか!?」
和也は父を睨む。
もはや第三者である隆之がいることは忘れてしまったかのようだ。
取り乱す和也を見ながら、隆之はムカムカとした気持ちの悪い感情が湧きだすのを感じた。
この男は由梨の何だ。
関係からいうと従兄弟であることは間違いないが、由梨を呼び戻せと喚き、そうでなければ自分が行きたいと無理を言う…。
考えたくはないが、由梨の…?
「失礼。」
隆之は思わず口を挟む。
幸仁は苦い顔のまま、隆之を見た。
「その、由梨…さんというのは、我が社の…今井由梨さんのことですか。」
和也も隆之を見る。
そして他人がいるこの場でこれ以上言い合いをするのは得策ではないと思ったのか、立ち上がった。
「…北部支社の人事が決まったのなら私はここにいる必要はありません。先に失礼させていただきます。」
そう言って、投げやりに頭を下げてさっさと出て行った。
残された隆之はやや唖然として彼が去った方を見た。
彼が後ろ手にしめた障子がパチンと鳴った。
無礼な振る舞いにはべつに腹は立たないが、由梨との関係はハッキリとさせて行けと心の中で悪態をつきながら幸仁に視線を移した。